中井藍江(1766-1830)は、はじめ蔀関月に師事し、のちに自ら雪舟をはじめ中国の李龍眠や牧谿の画を研究し、四条派の写生風も加味して一家を成した。また、中井竹山の門に詩文を学び、余技として茶を嗜んだという。
木村蒹葭堂とも交流があり、蒹葭堂没後の十三回忌書画展に「雪中関帝図」を出品している。また、文政5年の阿部良山追薦展の時にも補助をつとめている。門人に、玉手棠洲、菊川竹渓、水尾龍洲、山口蘭石、木村片石、鎌田巌松らがいる。
中井藍江(1766-1830)なかい・らんこう
明和3年生まれ。大坂の人。名は直あるいは真、字は伯養、子養、養三、俗称は養清。はじめ蔀関月に師事し、その後雪舟や中国画を研究した。中井竹山に詩文を学んで木村蒹葭堂とも親しく交流した。著書に『播磨名所図会』『かわころもの記』『吾妻乃都登』などがある。天保元年、65歳で死去した。
大阪(47)-画人伝・INDEX
文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、浪華人物誌2、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪名家著述目録、近世の大坂画壇、近世の大阪画人、大坂画壇の絵画