画人伝・大阪 山水・真景

吉村周圭・周南ら吉村派の画人

吉村周圭「山水図」

吉村周圭「山水図」

吉村周山の門人としては、子の吉村周圭をはじめ、法橋如興、花沢喜内、吉村周保、浦名周楽、筒井周川、中西周挙、法眼周篤、宮原周熊、大井周伯、曽根周岳、森周峰、宇野丹寿、村上周青、花岡周七、法眼保光斎、田島泰寛らがいた。

吉村周圭(1736-1795)は、父・周山より受けた伝統的漢画の手法で金剛峯寺新書院の襖、仏光寺黒書院の襖など大画を手掛け、山水、人物をよくし、花鳥も手掛けた。安永4年の款記をもつ「宝珠稲図」によれば当時法橋位であり、寛政2年刊の『浪華郷友録』には法眼になっている。

周圭の子・周南も、父に画を学び、享和2年刊行の『浪華なまり』では流行画人の一人として取り上げられている。また、『吉備』には『武江年表』を引用し、この頃の逸話として、大坂薪町の明石屋甚蔵なる者が浅草観音の御利益によって盗賊の難を逃れた事に感謝し、文化3年法橋周南にその図を描かせて宝前に掲げたという一文が記されている。

吉村周圭(1736-1795)よしむら・しゅうけい
元文元年生まれ。大坂の人。吉村周山の子。名は充貞。号は周圭。画を父に学び山水人物を得意とした。安永6年以前に法橋位、天明元年以前に法眼位に叙された。寛政2年に禁裏造営にも参加した。寛政7年、59歳で死去した。

吉村周南(1763-1812)よしむら・しゅうなん
宝暦13年生まれ。大坂の人。吉村周圭の子。名は充国。号は周南。画を父に学んだ。島之内、難波新地に住んでいた。寛政2年以前に法橋に叙され、文化6年以前に法眼に叙された。文化9年、49歳で死去した。

大阪(05)-画人伝・INDEX

文献:近世大阪画壇、近世の大坂画壇、近世の大阪画人




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