画人伝・京都 山水・真景

越前曾我派が代々名乗ったとみられる「曾我蛇足」

曾我蛇足「四季山水図襖」(冬)重文 京都・真珠庵蔵

曾我蛇足「四季山水図襖」(冬)重文 京都・真珠庵蔵

京都・真珠庵の襖絵で知られる曾我蛇足は、越前曾我派の祖で周文に画を学んだ墨溪の別号として伝わっていたが、制作年代などから襖絵を描いたのは曾我派2代の宗丈という説が有力となり、曾我蛇足という画名も個人のものではなく、曾我派の絵師が代々名乗っていたとみられる。

曾我派のはじめ3代(墨溪、宗丈、紹仙)は「蛇足」と号していることが、落款や印章によって知られ、あとの2代(宗誉、紹祥)についても、先の3代が世襲してきた画系的意義をもつ「蛇足」の号を引き継いだものと推測されている。

曾我派の画人たちを輩出した曾我家は、朝倉家に仕えていたが、天正元年、織田信長によって朝倉家が滅亡させられたため、それとともに画系としての曾我派も途絶えてしまった。その後、桃山時代になって曾我蛇足の画系を曾我直庵・二直庵父子が再興した。

曾我蛇足 そが・じゃそく(だそく)
越前曾我派の始祖とされる墨溪
桃山時代に泉州堺で新たな曾我派を興した曾我直庵

京都(31)-画人伝・INDEX

文献:日本の美術12 周文から雪舟へ、原色日本の美術11、日本美術絵画全集・第3巻




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