熊本における独立美術協会の系譜は、戦災を避けて熊本に疎開し、以後15年間熊本に滞在した海老原喜之助を中心に展開していく。海老原は戦後を代表する作品のほとんどを熊本時代に描いており、一方で「海老原美術研究所」を開設して後進の指導にあたった。戦前から独立展に出品していた坂本善三、宮崎精一、戦後から同展に参加した三浦洋一らが海老原の薫陶を受けながら、熊本を代表する抽象画家として独自の画風を展開した。
海老原喜之助(1904-1970)
明治37年鹿児島市生まれ。大正11年中学卒業後上京、川端画学校に学び、翌年19歳で渡仏、パリで藤田嗣治に師事した。パリでは二科展、サロン・ドートンヌや日本の二科展に出品、エコール・ド・パリの次期担い手として嘱目された。昭和8年に帰国、昭和10年に独立美術協会会員となった。昭和20年、郷里の鹿児島市が空襲を受けたため、鹿児島県境寄りの熊本県水俣市湯の児に疎開、戦後も人吉市、熊本市に転居しながら昭和35年まで熊本県に在住、戦後の代表作《殉教者(サン・セバスチャン)》など、戦争犠牲者への鎮魂を主なテーマに制作を続けた。昭和45年、旅先のヨーロッパで病み、同年パリにおいて66歳で死去した。
坂本善三(1911-1987)
明治44年阿蘇郡小国町生まれ。中学卒業後上京、本郷研究所、帝国美術学校で3年間学んだ。独立美術協会には第1回展から出品した。昭和10年からの長い兵役の後、戦後は阿蘇郡坊中で制作、阿蘇の風景や静物をモチーフに半具象の作品を描いた。昭和22年に独立展独立賞を受賞、昭和24年に独立美術協会会員となった。以後独立展を中心に、日本国際美術展、現代日本美術展などに出品、昭和51年には第1回長谷川仁記念賞を受賞した。昭和55年から59年にかけてヨーロッパで活動し個展などを開催、61年にはパリ国際版画展でグランプリを受賞した。昭和63年、76歳で死去した。
宮崎精一(1912-1996)
大正元年人吉市生まれ。昭和5年日本美術学校に入学、3年間学んだ。昭和12年独立展に初入選、昭和19年に独立展独立賞を受賞し、昭和23年独立美術協会会員となった。昭和20年、人吉市に転居してきた海老原喜之助に師事した。平成8年、83歳で死去した。
三浦洋一(1916-2012)
大正5年山鹿市生まれ。中学卒業後、九州医学専門学校に入学、在学中に油絵を描きはじめ、同校に美術部を創設した。帰郷後、熊本医科大学に勤務し、医療活動のかたわら作品発表を続けた。昭和25年に坂本善三、境野一之らと地元の前衛的な絵画グループ「杏美会」を結成するなど、若手の中心画家として活躍した。昭和27年独立展初入選、昭和37年には独立展独立賞を受賞し、昭和43年独立美術協会会員となった。一方、熊本県文化懇話会代表世話人や熊本県文化協会長を歴任、郷土の文化振興につとめ、平成5年に熊日賞を受賞、同年熊本県近代文化功労者として顕彰された。平成24年、95歳で死去した。
熊本(20)-画人伝・INDEX