佐藤耕雲(1854-1920)は、菅原竹侶に師事し、入門2年余りにして水沢近郷宅の襖絵を描くほどに上達したという。しばらく水沢地方で絵事に従事し、その間、内国絵画共進会では褒状を受けている。その後は諸国を遊歴し、明治24年頃には再々上京してしばらく住み、田能村直入の指導のもと、滝和亭、木村香雨らと交友し、画技を深めている。
明治30年頃からは郷里に戻り、絵事を通じて市の文化向上発展につとめ、市内旧家や社寺には、山水、花鳥、人物などの絵画や襖絵などが残っている。また、千葉耕斎、古玉荊山、今野白塵軒、及川芙月、高橋耕園、佐藤夢楽児、山田耕雨ら多くの門弟を育てている。
佐藤耕雲(1854-1920)さとう・こううん
安政元年塩釜村生まれ。名は常八、字は秀実、幼名は寅之助、寅八。別号に天文台下山人がある。画屋は一草、余雪と称し、これに山人を付けた雅号も用いた。幼いころから学問を立生館教授・武山節山に、絵画を菅原竹侶に習っていたが、維新後は画人の道を歩む決意で竹侶に本格的に入門した。のちに諸国を遊歴し、田能村直入、滝和亭らの門をたたいた。故郷では多くの門人を育てた。大正9年、66歳で死去した。
岩手(20)-画人伝・INDEX
文献:水沢画人伝