外内松意ら龍野藩につかえた狩野派の絵師に対し、山村翠谷(1787-1850)は、若いころに京都に遊び、円山派を学んだ。一説には応挙門下十哲のひとり・奥文鳴に師事したという。家は代々播磨国揖東郡中井村(現在のたつの市)の庄屋をつとめていたが、翠谷は庄屋としては不行跡だったようで、罷免され職を弟に譲った。弟の良平も奥文鳴門下で青龍と号し、余技として画を描いた。
山村翠谷(1787-1850)やまむら・すいこく
天明7年生まれ。播磨国揖東郡中井村(現在のたつの市)の庄屋。通称は勘右衛門、隠居後は仙右衛門。円山派を学んだ。嘉永3年、63歳で死去した。
兵庫(07)-画人伝・INDEX
文献:豪農に伝来する絵画