画家略歴

ネット検索で出てこない画家 その2

茨木不仙 いばらき・ふせん
明治20年10月静岡県富士郡生まれ。名は猪之吉。浅井忠に学ぶ。40年東京博覧会で受賞。第1回文展「深山の夏」、第5回文展「北國街道」、第2回院展「雷鳥境」出品。
大正7年2月、下村為山、丸山晩霞らと新日本画協会を起こした。太平洋画会会員。

今戸蝸牛 いまど・かぎゅう
明治14年6月大分県宇佐郡柳ヶ浦生まれ。彫刻家。名は精司。田中主水、山田鬼斎、高村光雲に師事した後に東京美術学校彫刻科木彫科に入学、35年に卒業した。33年日本美術協会で褒状、34年に東京彫工会で褒状を受けた。大正8年11月39歳で没。

上杉信斎 うえすぎ・しんさい
嘉永3年7月江戸生まれ。画家・書家。名は義順。林鶴梁、長三洲、蒲生聚亭らの鴻儒に就いて経史詩文を修め、市河萬庵に篆隷の書法を学び、野口幽谷に南宗派の画法を学んだ。博覧会や展覧会でたびたび褒賞状を受けた。

大草小雲 おおぐさ・しょううん
文政8年3月24日周防国岩国藩の城下に生まれる。幼名與四郎、のち與兵衛。藤岡甚右衛門の四男。性風流を好み、南宗の画を作り、詩歌花茶など幅広く嗜み、神社仏閣を拝すること千数百に及んだ。茶道の七事を最も解し門人が三百余人あり、茶室別荘が、西推寺、守採堂、反古庵、安閑屈、琥珀園、兎唇樵舎、容膝齋、桂山坊と八ケ所あった。著書に『骨董集』二十五巻、『賣筆日記』二十巻、『仁壽小集』一巻がある。

大瀧雨山 おおたき・うざん
明治4年2月山形県鶴岡町に生まれた。名は正治。石川静山、川村雨水に南宗画を学び、41年以来南宗画会、日本美術協会等で受賞、日本南宗画会評議員となった。第9回文展に「溪山幽邃」を、第10回文展に「山驛」を出品した。

海外天年 かいがい・てんねん
万延元年11月生まれ。京都の人。庄右衛門の長子。岸竹堂、鈴木百年に師事し、大博覧会や共進会等で数回褒賞を受けた。常に意匠考案に思いを凝らし、明治31年11月『天年模様鑑』七部を著した。

加藤子柏堂 かとう・しはくどう
明治5年1月京都市に生まれる。名は直彦。望月玉泉、岸竹堂に学び、内国勧業博覧会等で褒状を得た。日英博覧会東京出品館に壁張天井画を、東京歌舞伎座に二度天井画を描いた。日本美術協会会員、巽画会会員。第11回文展に「☆膊飛揚」を出品。(☆は「幅」の「巾」を「月」に)

文献:明治大正文學美術人名辭書




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