洋画家

大正期の京都洋画壇で活躍した国松桂渓

2023/10/27  

国松桂渓「黄色マント着たる女」 国松桂渓(1884-1962)は、滋賀県栗太郎郡葉山村(現在の栗原町)に生まれた。中学校卒業後、京都に出て聖護院洋画研究所に入り浅井忠に師事し、その後、浅井忠を中心に創 ...

一貫して「松」を作画活動の中心においた新道繁

2023/6/26  

新道繁「69-松」 新道繁(1907-1981)は、福井県板井郡(現在の坂井市)に生まれた。東京府工芸学校在学中から水彩画に親しみ、大正14年の第6回帝展で初入選し、その後も帝展、新文展に出品した。ま ...

昭和初期のプロレタリア美術運動の流れのなかで労働者を描いて高い評価を得た堀田清治

2023/6/23  

堀田清治「餓」福井県立美術館蔵 堀田清治(1898-1984)は、福井市に生まれ、中学卒業後に上京し、太平洋美術研究所で高間惣七に師事した。大正13年の第1回展から槐樹社に出品し、昭和6年に同会が解散 ...

大正期新興美術運動の中心人物として活動したが、三科展瓦解後は絵画制作から離れた木下秀一郎

2023/6/21  

木下秀一郎「土岡氏の夜像」 木下秀一郎(1896-1991)は、日本医学専門学校(現在の日本医科大学)で医学を学んでいたが、在学中から絵画制作を行い、大正9年に結成された大正期新興美術運動の始まりとさ ...

「日本的フォーヴ」と呼ばれた表現様式を展開した画家のひとりとして、淡泊な味わいを持つ独自の画境を開拓した鈴木千久馬

2023/6/19  

鈴木千久馬「なわとび」東京国立近代美術館蔵 鈴木千久馬(1894-1980)は、福井市に生まれ、旧制福井中学3年の時に一家で上京した。東京では黒田清輝が主宰する葵橋洋画研究所で学び、その後東京美術学校 ...

大平広正ら福井の初期洋画家・図画教師

2023/6/16  

大平広正「大阪中ノ島 大阪淀川橋宿処ノ向岸」(写生) 大平広正(1858-1901)は、鯖江藩出口村(現在の鯖江市)に生まれ、中学卒業後は師範学校の図画教師をしていたが、画を学ぶために上京、本多錦吉郎 ...

煌びやかな人物表現を展開した高光一也

2023/3/31  

高光一也「フードの女Ⅰ」石川県立美術館蔵 高光一也(1907-1986)は、金沢市専称寺の住職の子として生まれ、石川県立工業学校図案絵画科に学んだ。同校卒業後は金沢市内の小学校の美術教師をしながら制作 ...

第二紀会(現在の二紀会)を創立するなど戦後の日本洋画壇をリードした宮本三郎

2023/3/27  

宮本三郎「婦女三容」小松市立宮本三郎美術館蔵 宮本三郎(1905-1974)は、小松市の農家に生まれ、旧制小松中学校に入学したが2年で中退し、画家を志して兄の住む神戸を経て上京、川端画学校洋画部に入学 ...

石川県で初めて裸婦デッサンを学べる洋画研究所を開設した飛鳥哲雄

2023/3/23  

飛鳥哲雄「手鏡」 飛鳥哲雄(1895-1997)は、金沢市に生まれ、石川県立工業学校図案絵画科を卒業し、東京美術学校に進学、同校卒業後は三越呉服店美術部に入社した。二科展に出品するなど活発な制作活動を ...

大正期に文展・帝展に出品した石川県の洋画家

2023/3/20  

伊東哲「高原」石川県立美術館蔵 大正期に入ると、石川県出身の洋画家たちのなかでも、東京美術学校出身の画家たちを中心に、文展・帝展で入選、入賞する画家たちが出てくる。大正5年第10回文展では伊東哲(18 ...




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