山水・真景

矢野派の全盛・五代矢野良勝と衛藤良行

2021/7/6  

矢野良勝「波濤図屏風」(部分) 四代雪叟によって再興された矢野派は、次の五代良勝と雪叟の門人である衛藤良行らの世代に全盛を迎えた。良勝や良行らは、雪叟によって回帰された雪舟風の筆法を修得し、それを基礎 ...

矢野派の再興者・矢野雪叟

2021/7/6  

矢野雪叟「旭日に猛禽図」 三代茂安の時代に衰退していった細川家御用絵師・矢野家だが、茂安の養子・矢野雪叟(1714-1777)が四代目を継ぐと、牧谿や雪舟など和漢の古画の模写などを通じて雪舟流の画風を ...

熊本近世絵画のはじまり-矢野派の祖・田代等甫

2021/7/24  

伝田代等甫「細川幽斎像」 熊本城の正確な築城年代は明らかになっていないが、慶長15年(1610)頃には大広間や花畑屋敷は完成していたと考えられている。当時は、各地の城で大規模な障壁画が描かれるようにな ...

幕末の長崎三画人、鉄翁祖門・木下逸雲・三浦梧門

2021/7/18  

左:木下逸雲「梅花小禽雪山水図」右:木下逸雲「桃花源図」 来舶四大家のひとり江稼圃は、文化元年から6年頃まで来日し、弟の江芸閣とともに長崎の南画興隆の基礎をつくった。さらに続いて来日した徐雨亭、王克三 ...

肥前佐賀藩の絵師たち

2021/7/24  

葉山朝湖「楼閣山水図屏風」佐賀県立博物館蔵 肥前佐賀藩においては、初代藩主・鍋島勝茂、三代・綱茂、八代・治茂の代に比較的多くの絵師の名前がみられる。しかし、藩御用絵師の世襲、または門人らによる画風の継 ...

福岡南画壇の育ての親と称される中西耕石

2021/7/8  

中西耕石「山水図」 福岡県の近代南画の先駆者としては、福岡南画壇の生みの親とも育ての親とも称される中西耕石(1807-1884)が挙げられる。耕石は、遠賀川河口の貿易港として江戸時代に栄えた芦屋に生ま ...

鳥取ゆかりの近世南画家

2021/7/9  

左:塔然「冬景山水図」、中:塔然「松下人物図」、右:越寛一「鯉図」 米子の漁師の家に生まれ、のちに大山寺に入って僧となった嗒然(1796-1861)は、独学で画法を修得し、「嗒然の千枚書き」と称される ...

鳥取藩の学制改革につとめた正墻適処とその高弟・山内篤処

2021/7/9  

正墻適処「山水図」 鳥取藩の藩医の子として生まれた正墻適処(1818-1875)は、はじめ建部樸斎に経学を学び、のちに江戸、大坂に出て学を修め、多くの文人と交流した。詩文を好み、書画をよくし、温雅な作 ...

鳥取南画の祖・赤山水の建部樸斎

2021/7/9  

建部樸斎「山水図」 鳥取で最初に南画を描いたのは、鳥取藩西舘藩士・建部樸斎(1769-1838)とされる。樸斎は、家督を継いだ24歳頃から経学を修め、書を学び、画をよくした。師系は明らかではないが、詩 ...

谷文晁の実弟・島田元旦

2021/7/9  

島田元旦「雪中山水図」 谷文晁(1763-1840)の実弟として生まれた谷元旦(1778-1840)は、鳥取藩江戸留守居役を務めていた島田図書の養子となり、島田家を継いで島田と改姓した。15歳離れた兄 ...




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