山水・真景

森寛斎に学び京都画壇で活躍した奥谷秋石

2025/5/7  

奥谷秋石「松渓風雪遊鹿山水之図」京都国立近代美術館蔵 奥谷秋石(1871-1936)は、大阪に生まれ、はじめ重春塘に学び、のちに京都で森寛斎の門に入り円山派の画風を学んだ。山水画を得意としたが、花鳥画 ...

森派の森一鳳に「円山風」を学んだ森関山

2025/4/11  

森関山「住吉風景図」大阪市立博物館蔵 江戸時代の大坂画壇において重要な流派のひとつである森派は、もともと狩野派風を描いていた森陽信、周峰、祖仙(のちに狙仙に改号)の三兄弟のうち、写生画の作風を確立した ...

狩野派と円山派を折衷した画風を確立した渡辺祥益

2025/4/9  

渡辺祥益「淡彩住吉社頭之図」 渡辺祥益(1848-1905)は、渡辺梁益の二男として大坂に生まれた。父の梁益は、京狩野家9代の狩野永岳に学び、禁裏御用をつとめたという。祥益は、父の没後慶応3年に京都に ...

写生的な作風で「精細麗艶」といわれた上田耕冲

2025/3/21  

上田耕冲「箕面山真景図」逸翁美術館蔵 上田耕冲(1819-1911)は、円山応挙門下の上田耕夫の子として京都に生まれた。父に画を学び、父とともに大坂に移ったが、その後死別したため豪商・平野屋五兵衛の援 ...

赤松雲嶺、塚口竹香、川本月香ら姫島竹外の門人

2025/3/19  

赤松雲嶺「金剛山暁色図」 姫島竹外に学んだ南画家としては、竹外門下の双璧とされた山田秋坪、水田竹圃をはじめ、赤松雲嶺、塚口竹香、川本月香、幸松春浦、安田半圃、泥谷文景、姫島竹亭らがいる。 赤松雲嶺(1 ...

姫島竹外門下で山田秋坪とともに双璧とされた水田竹圃

2025/3/17  

水田竹圃「幽谷早春」 水田竹圃(1883-1958)は、大阪に生まれ、姫島竹外の門に入り南画を学び、竹外門下では山田秋坪とともに双璧とされた。明治45年に中国を巡遊し、帰国後名声を高めたという。大正元 ...

近代大阪南画壇の重鎮として活躍した姫島竹外

2025/3/12  

姫島竹外「竹溪暁霽図」 姫島竹外(1840-1928)は、筑前国の福岡藩士で代官をしていた姫島家の長男として生まれ、父に二天流の剣法を教わり、藩校・修猷館で学んだ。また画を好み、はじめ村田東圃に学び、 ...

南画のほか銅版画も手掛け地図や刊行物を残した森琴石

2025/3/10  

森琴石「山水図」泉屋博古館東京蔵 森琴石(1843-1921)は、摂津国有馬郡湯元(現在の兵庫県神戸市北区有馬町)の梶家に生まれ、3歳の時に大坂の森家の養子となった。鼎金城に師事して南画を学び、のちに ...

跡見学園を創設し女子教育と絵画指導に尽力した跡見花蹊

2025/3/5  

跡見花蹊「山水図」 跡見花蹊(1840-1926)は、摂津国西成郡木津村(現在の大阪市浪速区・西成区)で私塾を営む跡見重敬の二女として生まれた。幼いころから学問を好み、父に三字経や孝経を学び、父の私塾 ...

大阪画壇を代表する女性画家として活躍した河辺青蘭

2025/3/3  

河辺青蘭「態濃意遠図」 河辺青蘭(1868-1931)は、徳川幕府の御用銅吹業を営んでいた河辺伊右衛門の三女として改元前の大坂南堀江(現在の西区)に生まれた。幼いころから画を好み、10歳で巽蓼湾に絵画 ...

奥原晴湖と並び称された大阪の女性南画家・橋本青江

2025/2/28  

橋本青江「山水図」 橋本青江(1821-1898)は、大坂船場で資産家の娘として育った。画を岡田半江に、書を篠崎小竹に学び、門人を抱えて一家を成し、幕末から明治初期の大坂で活躍した。代表的な門人である ...

砲術家として名を馳せ維新後は画に専念した田結荘千里

2025/2/26  

田結荘千里「青緑山水図」 田結荘千里(1816-1896)は、但馬出身の儒医・但馬天民の子として大坂堂島に生まれた。画を金子雪操に学び、長崎で池部如泉に砲術を学び、自ら蘭学を修めるなど諸技に通じ、緒方 ...

養子となった田能村小斎ら関西での直入の門人

2025/2/24  

田能村小斎「浪華大川眺望図」 田能村小斎(1845-1909)は、播州北條(現在の兵庫県加西市北條町)に生まれ、明治維新後は大阪と京都で暮らした。田能村直入に師事し、直入の子供が突然死去したため養子と ...

関西南画壇の発展に貢献した田能村直入・村田香谷

2025/2/21  

田能村直入「天保九如図」 江戸時代に流行した南画は、明治時代になってもその人気は続き、大阪には豊後の田能村直入や筑前の村田香谷、姫島竹外をはじめ、西日本を中心に各地から南画家が集まり優れた作品を残した ...

田能村竹田に出会い南画に専心した忍頂寺静村

2025/2/19  

忍頂寺静村「山居渓閣図」 忍頂寺静村(1804-1877)は、淡路に生まれた。幼いころから画を好み、大坂に出てはじめ上田公長に入門し写生画を学んだ。その後田能村竹田に出会い南画に専心するようになった。 ...

江戸で谷文晁に学び大坂に移り住んだ魚住荊石

2025/2/17  

魚住荊石「夏山林泉図」 魚住荊石(1799-1880)は、越後古志郡和泉村(現在の新潟県長岡市)に生まれた。幼いころから画を好み、17歳で江戸に出て谷文晁に師事した。同門に高久靄厓がいた。諸国を遊歴し ...




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