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早世した逸材・中原芳煙と中央画壇を離れた竹田霞村
2021/7/9
中原芳煙「月下三鹿図」 邑智郡都賀行村(現島根県美郷町)生まれの中原芳煙(1875-1915)は、東京美術学校日本画科を首席で卒業し、将来を嘱望されながらも病を得て帰郷、中央画壇に戻ることを望みながら ...
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石見の南蘋派・三浦紫えんと門人
2021/7/9
三浦紫えん「老松に白孔雀」島根県立美術館蔵 石見地方の南蘋派としては、津和野藩士の三浦南溪・紫☆親子がいる。父の南溪は江戸に南蘋派を広めた宋紫石に学び、藩の御用絵師をつとめた。子の紫☆(「☆」は「田」 ...
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四条派を学んだ上代英彦と出雲の門人
2021/7/9
上代英彦「鶏図」 上代英彦(1819-1883)は5年間堀江友声に学んだのち、京都に出て四条派の岡本豊彦に師事した。田能村直入、中西耕石らと交友し研鑽を積んだが、病弱だったため帰郷し、晩年は大東町で過 ...
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出雲松江藩御用絵師・狩野永雲とその画系
2021/7/9
狩野永雲「春秋花鳥図」島根県立美術館蔵 出雲国では、徳川家康の孫にあたる松平直政が寛永15年に松江に入り、松江藩初代藩主となった。松江藩の絵師としては、直政が越前時代に召抱えられたとみられる大田弥兵衛 ...
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大庭学僊と門人
2021/7/9
大庭学僊「雪中芦雁図」 大庭学僊(1820-1899)は、徳山に生まれ、11歳の時に徳山藩御用絵師・朝倉南陵に師事、18歳の時に京都に出て、下関出身の小田海僊のもとで画技をみがき、海僊の養子となった。 ...
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周防徳山藩御用絵師・朝倉南陵と徳山の画人
2021/7/9
朝倉南陵「孔雀図」山口県立美術館蔵 朝倉家は五代続いた周防徳山藩御用絵師の家系で、朝倉南陵(1757-1844)はその四代にあたる。初代繁経は、表具師として徳山藩に召し抱えられ、雲谷派の雲谷等恕に学ん ...
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福山藩の住吉派・村片相覧と藩主・阿部正精
2021/7/9
村片相覧「高士幽棲図」 福山藩主の阿部氏は代々、学問、文芸、芸術などを積極的に奨励し、藩主自らも風雅を好み、画を描いた。なかでも三代阿部正右(1724-1769)、四代阿部正倫(1745-1805)、 ...
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京都で学んだ岡山の日本画家
2021/7/9
木村丈夫「流木」 小野竹喬(1889-1979)、池田遙邨(1895-1988)に代表される岡山の京都派だが、ほかにも石井金陵に南画を学び、のちに京都に出て山元春挙に師事した高橋秋華(1878-195 ...
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慈善社会事業家としても活躍した南画家・津田白印と門人
2021/7/9
津田白印「恬淡養遐帖」 備中笠岡の浄土真宗の僧侶・津田白印(1862-1946)は、長崎派の鉄翁祖門の高弟・成富椿屋に南画を学び、南画家として活動するとともに、慈善社会事業家としても活躍した。明治24 ...
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岡山の近代南画家、河合栗邨と門人
2021/7/9
河合文林「秋圃双鶴図」 浅口郡西阿知村生まれの河合栗邨(1851-1908)は、小野竹喬の祖父である白神澹庵(1825-1888)に南画を学び、のちに井原に栗邨画房を開いて郷土の画家を指導した。そのた ...
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四条派から南画に転じた白神暭々と門人
2021/7/9
白神暭々「花卉図」 柴田義董の代表的門人として、終始文人的な作画態度を保持し、晩年には南画に転じた白神暭々(1777-1857)がいる。暭々は、窪屋郡中島村の豪農の家に生まれ、10歳前後で近くに住む黒 ...
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岡山の四条派普及に大きく貢献した古市金峨と門人たち
2021/7/9
古市金峨「花鳥図」 岡本豊彦の内弟子として学んだ古市金峨(1805-1880)は、岡山の四条派普及に大きく貢献した。金峨は児島郡尾原村(倉敷市)に生まれ、17、8歳の時に京都に出て岡本豊彦の門に入った ...
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柴田義董の門人、小野雲鵬と大原呑舟
2021/7/9
小野雲鵬「孔雀図」 柴田義董の岡山の門人としては、小野雲鵬(1796-1856)がいる。雲鵬は備中の生まれで、はじめ黒田綾山に手ほどきを受け、京都に出て同郷の柴田義董の門下となり、義董没後は岸駒にも学 ...
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讃岐の円山四条派
2022/9/3
左:馬場景泉「日の出花鳥図」、右:森琴岳「青緑山水図」 讃岐における円山四条派の系譜をみると、まず安芸雲峰の名があげられる。雲峰は寒川郡津田の豪商の家に生まれ、寛政享和年間に活躍した。幼くして円山応挙 ...
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風流を好んだ松平左近と讃岐の勤王家たち
2022/9/3
松平頼該 左:瓢鮎図、右:松に鶴図 松平頼該(1809-1868)は高松藩八代藩主・松平頼儀の長男として江戸小石川高松藩邸に生まれ、のちに「左近」と改名した。文武両道で、書画、和歌、俳句、茶道、華道、 ...
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讃岐の南蘋派、三木文柳・亀井東溪・戸塚茗溪
2022/9/3
三木文柳「鮮魚図(鯛鱸海老図)」 讃岐の南蘋派画人としては、三木文柳(1716-1799)と亀井東溪(1748-1816)が知られている。文柳は、もと阿波の藩士で、幼いころから画を好み、京都に出て修業 ...