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浦上春琴に師事し長崎三画人にも学んだ塩田牛渚
2021/7/6
塩田牛渚「花鳥図屏風」 会津藩の世臣の子として生まれた塩田牛渚(1828-1866)は、少年の頃には小姓として会津藩主・松平容敬に仕えていたが、幼いころから絵を描くのが好きで、専門絵師になるため、藩士 ...
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白雲、巨野泉祐同様に松平定信に見出されて谷文晁の門に入り、師譲りの幅広い画域の作品を手掛けた白河藩絵師・星野文良
2021/7/6
星野文良 左:「林和靖」、右:「花鳥図」 白河藩絵師・星野文良(1798-1846)は、16歳の時に江戸詰めとなり、八丁堀の白河藩邸に住み、藩主・松平定信の命を受けて谷文晁の門に入った。享和3年には、 ...
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白河藩御用絵師として城内障壁画や肖像画の制作をはじめ各種写生記録を手掛けた巨野泉祐
2021/7/6
巨野泉祐 左:秋草図、右:月中之龍図 白河城下に生まれた巨野泉祐(1774-1837)は、16歳の時に仕官し、白河藩校・立教館容儀師範の手付となり、はじめて絵の御用に携わった。寛政7年には松平定信に画 ...
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第三代白河藩主・松平定信の画事
2021/7/6
松平定信「花鳥図」江戸東京博物館蔵 寛政の改革で知られる松平定信(1758-1829)は、八代将軍徳川吉宗の孫として江戸城内の田安邸に生まれ、17歳で白河藩松平家の養子となった。天明3年には白河藩の家 ...
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文化・文政期の漆山陣屋付き絵師・設楽東玉斎
2021/7/6
設楽東玉斎、左から「人物図」、「山水図」、「花鳥図」 文化・文政期に活躍した山形・村山地方の絵師に、漆山村(現在の山形市)の設楽東玉斎がいる。東玉斎は、天童奈良沢の菱沼家に生まれ、のちに漆山の設楽家に ...
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角館に四条派を移入した武村文海
2021/7/6
武村文海「鶏」 秋田藩内で盛んになった円山四条派の絵は、柴田南谷や川口月嶺によって広まったものと思われ、幕末から明治にかけて中央画壇でもその画名を知られるようになった角館の平福穂庵も、川口月嶺の影響を ...
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横手の円山四条派・柴田南谷、楳溪、松谷の三代
2021/7/6
柴田松谷「小禽図」 大坂画壇での長山孔寅の活躍は、秋田で四条派が普及する導火線になったと思われるが、系統として円山四条派の絵画を秋田藩内に広めたのは、江戸で学んだ横手の柴田南谷らとされる。 柴田南谷( ...
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横手の南蘋派・佐々木原善と戸村後草園
2021/7/6
左:佐々木原善「唐美人」右:戸村後草園「花鳥」 秋田に最もはやく南蘋派の画法を伝えたのは、横手の佐々木原善(不明-不明)とされる。原善は横手城代の戸村義敬・義通(後草園)親子をパトロンとし、安永年間に ...
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小田野直武のよき理解者だった角館城代の佐竹義躬
2021/7/6
佐竹義躬 左:岩に芙蓉に蔦図 右:松に白百合図 第6代角館城代の佐竹義躬(1749-1800)は、小田野直武が直接仕えた上役であり、よき理解者だった。そして、直武から直接西洋画法を学んだ秋田蘭画の画家 ...
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日本初の西洋画論を著した秋田藩藩主・佐竹曙山
2021/7/6
佐竹曙山 左:岩に牡丹図 右:松に唐鳥図 秋田蘭画が生まれるきっかけとなった平賀源内の秋田招聘は、時の秋田藩主・佐竹曙山によって行なわれた。曙山は、鉱山開発のために招いた源内が角館で小田野直武に洋画法 ...