人物画

熊本近世絵画のはじまり-矢野派の祖・田代等甫

2021/7/24  

伝田代等甫「細川幽斎像」 熊本城の正確な築城年代は明らかになっていないが、慶長15年(1610)頃には大広間や花畑屋敷は完成していたと考えられている。当時は、各地の城で大規模な障壁画が描かれるようにな ...

野口彌太郎と長崎ゆかりの洋画家

2021/7/11  

野口彌太郎「タンジール」 野口彌太郎(1899-1976)は、諫早市出身の銀行家・野口彌三の長男として東京に生まれ、父の仕事の関係で各地を転々としたが、父の田園生活を送らせたいとの思いから、明治44年 ...

大正初期の美人画作家・栗原玉葉と長崎ゆかりの日本画家

2023/9/28  

栗原玉葉「お夏狂乱(恋)」 大正初期の文展で美人画作家として活躍した栗原玉葉(1883-1922)は、現在の雲仙市に生まれ、上京して寺崎広業に学んだ。大正2年、第7回文展に初入選し、第8回展では褒状を ...

外光派の風景画家・山本森之助と早世した人気画家・渡辺与平

2021/7/11  

山本森之助「雨後」(絶筆) 明治10年、山本森之助(1877-1928)は長崎市新橋町の料亭一力の長男として生まれた。明治27年に画家を志して大阪の山内愚仙に入門、翌年には上京して浅井忠の明治美術学校 ...

黄檗肖像画家・喜多元規とその画系

2021/7/6  

喜多元規「黄檗肖像画」 17世紀中頃、黄檗宗の僧・隠元隆琦が渡来し、我が国に黄檗宗を伝えると、木庵性稲や即非如一、独立性易ら黄檗僧が続々と渡来し、長崎は黄檗文化の一大中心地となった。中国黄檗僧の渡来に ...

佐賀美術協会の創立と佐賀出身の画家たち

2021/7/12  

高木背水「練馬風景」 大正2年、東京上野の茶屋に久米桂一郎、岡田三郎助ら佐賀県出身の画家が集まった。メンバーは久米、岡田のほかに、田雑五郎、山口亮一、御厨純一、北島浅一、さらに藤田遜ら東京美術学校の在 ...

北島浅一ら東京美術学校に学んだ佐賀の洋画家

2021/7/12  

北島浅一「パリの踊り子」 明治20年に東京美術学校が創設され、29年に西洋画科が新設されると、佐賀県の若者たちも上京して洋画を学ぶようになった。明治期に東京美術学校西洋画科に学んだ佐賀県出身の者として ...

明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎と岡田三郎助

2023/9/27  

久米桂一郎「残曛下絵」 黒田清輝とともに日本洋画に外光派の画風を取り入れ、洋画団体白馬会を結成するなど、明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎(1866-1934)は、佐賀城下に生まれ、8歳の時に ...

官展で活躍した福岡県の近代日本画家

2023/9/28  

吉村忠夫「多至波奈大女郎」法隆寺蔵 官展で活躍した福岡県の近代日本画家としては、ます最初に吉村忠夫(1898-1952)が挙げられる。吉村は北九州市に生まれ、東京美術学校を首席で卒業、のちに松岡映丘に ...

狩野探幽門下四天王と称された尾形家2代守義と狩野姓を許された3代守房

2021/7/24  

小方守房(狩野友元)「仏涅槃図」長円寺蔵 福岡藩の御用絵師はすべて狩野派で、尾形家、衣笠家、上田家の3家が代々世襲で家督を継いだ。他にも、熊本氏、小森氏、佐伯氏、笠間氏など一代限りまたは随時に抱えられ ...




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