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広島洋画の先駆者・小林千古
2024/12/14
小林小古「裸婦正面立像」 広島に初めて本格的な洋画をもたらした人物として小林千古(1870-1911)があげられる。千古は、出稼ぎ労働者として渡米し、苦学してサンフランシスコの美術学校を卒業、さらにヨ ...
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小野竹喬、池田遙邨ら、栖鳳門下の岡山の日本画家たち
2021/7/25
小野竹喬「宿雪」 四条派は岡山出身の岡本豊彦の画系を中核に発展した。豊彦の門人である塩川文麟、さらにその門人の幸野楳嶺と続き、楳嶺のあとを受け、明治30年代以降の京都の指導者として君臨したのは楳嶺門下 ...
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岡山の四条派、人物の柴田義董と山水の岡本豊彦
2021/7/9
柴田義董「群仙図」 岡山の地からは、二人の円山派の大家が出ている。当時、四条派内で「人物は義董、山水は豊彦」と謳われ、京都の人気を集めた柴田義董(1780-1819)と岡本豊彦(1773-1845)で ...
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香川の近代洋画
2025/3/27
小林萬吾「渡舟」 讃岐は漆工芸品の産地として古くから知られており、この工芸が根付いた地域であったという事情が、美術の発展、作家の育成に大きく関与している。 明治31年、香川では、熟練した工芸技術者を養 ...
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風流を好んだ松平左近と讃岐の勤王家たち
2022/9/3
松平頼該 左:瓢鮎図、右:松に鶴図 松平頼該(1809-1868)は高松藩八代藩主・松平頼儀の長男として江戸小石川高松藩邸に生まれ、のちに「左近」と改名した。文武両道で、書画、和歌、俳句、茶道、華道、 ...
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詩書画をよくした篆刻家・細川林谷とその周辺
2022/9/3
細川林谷「林谷山人紀遊漫画」 細川林谷(1780-1843)は、讃岐国寒川町に生まれ、幼いころから阿部良山に篆刻を学んだ。その篆刻は「正雅典則一世に鳴る人皆宇内第一」と称され、頼山陽、篠崎小竹、田能村 ...
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正岡子規と周辺の文士や絵師
2024/12/21
下村為山「俳句革新記念子規庵句会写生図」 愛媛生まれで「俳聖」と称される正岡子規は、単なる俳人としてとらえられる人物ではなかった。新聞記者や雑誌の創刊など多彩な活動をし、絵も描いた。子規のまわりには、 ...
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土佐南画の流れ、楠瀬南溟から松村蘭台へ
2021/7/9
松村蘭台「飲中八仙図」高知県立美術館蔵 中山高陽亡き後の土佐の南画は、大坂に出て木村兼葭堂、福原五岳ら池大雅系の文人たちと交流した楠瀬南溟(1743-1790)にはじまり、門人の松村蘭台、子の楠瀬大枝 ...
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絵金と絵金派
2024/12/11
絵金「太平記忠臣講釈七条河原惣嫁宿」高知県立美術館蔵 絵金が創出した「芝居絵屏風」は、土佐の各地から集まった弟子や孫弟子たちによって幕末から昭和初期まで描き継がれた。それらは一括して「土佐芝居絵屏風」 ...
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絵描きの金蔵
2024/12/11
弘瀬洞意(絵金)「美人図」 江戸で駿河台狩野に学ぶ機会を得た、土佐の髪結いの息子・金蔵は、わずか3年で「洞意」の号を得て帰郷し、土佐藩家老桐間家の御用絵師をつとめた。腕もたち、人気にも恵まれた若き狩野 ...
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最古の阿波おどり図を描いた御用絵師・鈴木芙蓉
2022/8/20
鈴木芙蓉「阿波盆踊図」賛:那波網川寛政8年(1796)に「酔画」として描かれた。「阿波おどり」を描いた最古の絵画作品とされる。 藩の絵師は通常幕府にならって狩野派か住吉派から召し抱えられていたが、11 ...
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現代まで続く円山・四条派の系譜
2025/3/6
中村左洲「伊勢参宮図」 伊勢には南画をはじめ、狩野派、長崎派、岸派などいろいろな画法を学ぶものがいたが、主流となったのは円山・四条派だった。伊勢に初めて円山・四条派を広めた岡村鳳水の門からは上部茁斎、 ...
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伊勢に円山・四条派を広めた岡村鳳水と門人たち
2022/8/18
磯部百鱗 左:伊勢音頭図、右:曾我兄弟之図 岡村鳳水の主な門人である上部茁斎、榎倉杉斎、荘門為斎の門からも優れた画家たちを輩出した。とくに上部茁斎の門から出た林棕林(1814-1898)は、江戸に出て ...
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画壇を代表する多くの日本画家を輩出
2025/3/6
川合玉堂「鵜飼」東京藝術大学蔵 岐阜の代表的日本画家としては、愛知に生まれ岐阜に移り住んだ川合玉堂(1873-1957)をはじめ、恵那の前田青邨(1885-1977)、岐阜の川崎小虎(1886-197 ...
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京都画壇で学んだ飛騨の日本画家
2025/3/6
玉舎春輝「アイヌ村落図」 飛騨に生まれて京都画壇で修業した日本画家のうち、塩川文麟に師事した垣内右嶙・垣内雲嶙父子は、のちに金沢に移り金沢画壇で活躍した。山元春挙に師事した玉舎春輝は春挙・栖鳳門下を中 ...
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尾張の岸派、喜田華堂と門人
2024/12/30
喜田華堂「富士巻狩図」 尾張の岸派では、喜田華堂、そのあとを継いだ中島有年らがいる。喜田華堂(1802-1879)は岐阜県不破郡今須村に生まれ、若くして京都に出て岸駒、岸良に学んだ。20年にわたり東国 ...