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伊予の南画、全盛から現代南画へ
2025/2/24
吉田蔵澤(1722-1802)やその門人たちによって確立されていった伊予南画は、しだいに広がりを見せる。小松藩絵師となった森田南濤(1808-1872)は文晁派の春木南湖に学び、その流れは門人の林涛光 ...
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伊予南画の全盛・続木君樵と周囲の画人
2021/7/9
天野方壺の登場で全盛を迎える伊予南画だが、伊予画壇において方壺と双璧と謳われたのが続木君樵(1835-1883)である。君樵は庄屋の家系に生まれ、幼いころから書画に親しんだ。土居町を中心として多くの画 ...
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伊予出身の旅絵師・天野方壺、伊予を訪れ作品を残している富岡鉄斎
2021/7/9
幕末から明治初期にかけて活躍した伊予出身の南画家に、天野方壺(1824-1895)がいる。その生涯はほとんど不明確だが、諸々の資料をつなぎ合わせると、はじめ三津の四条派の画人・森田樵眠に学び、のちに京 ...
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伊予南画の先駆者・吉田蔵澤、正岡子規も愛した竹の名手
2021/7/9
伊予南画の先駆的な存在としては吉田蔵澤(1722-1802)があげられる。蔵澤が長崎南画との出会いによって墨竹を始めたころは、ちょうど池大雅や与謝蕪村らによる日本南画の黎明期にあたり、蔵澤の先駆性はは ...
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円山四条派の流れを汲む伊予の画人
2021/7/9
森田樵眠によって伝えられた円山四条派の流れは、伊予の地に広まっていった。東宇和郡野村町に生まれた松本仙挙(1880-1932)は、京都市立美術工芸学校絵画科に進み、卒業後も山元春挙に師事して「仙挙」の ...
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伊予に四条派を伝えた町絵師・森田樵眠
2021/7/9
山本雲渓の活躍期に重なるように現れたのが、松山三津の町絵師・森田樵眠(1795-1872)である。樵眠については詳しい経歴は伝わっていないが、京都に出て岡本豊彦の門で学び、伊予の地に四条派の画風を初め ...
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岸駒に学び、江戸で活躍した沖冠岳
2021/7/9
今治に生まれ山本雲渓の手ほどきを受けて絵画に目覚めた沖冠岳(1817-1876)は、京都に出て岸駒の門に入り画を学び、その後江戸に出て谷文晁や渡辺崋山らと交わり、江戸南画や狩野派を研究するなど様々な画 ...
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森狙仙門下の猿の画人二人・山本雲渓と大内蘚圃
2021/7/9
藩の絵師として全盛を極めた狩野派や住吉派にかわり、江戸後期から末期にかけて新しい画境を切り開いたのは、長崎系南画の流れや円山派だった。今治藩の山本雲渓(1780-1861)は、医術を学ぶため大坂に出た ...
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宇和島から杵築の安住寺へ、孤高の水墨画家・村上天心
2021/7/9
宇和島の豆腐屋の家に生まれた村上天心(1877-1953)は、幼くして父親と死別し、学校で学ぶ機会を得られなかったが、独学で各派の画法を学んだ。さらに、様々な師を求めて、禅、彫刻、仏典、儒学、漢字など ...
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宇和島の画人・三好応山と応岸
2021/7/9
宇和島を中心とする南予地方は、松山を中心とする中予地方とは高い山々でへだてられおり、むしろ九州との海上交流のほうが盛んで、県内でも固有の気風・文化をはぐくんできた。さらに、慶長19年からは仙台藩主・伊 ...
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伊予松山藩の住吉派絵師、遠藤広古・広実
2021/7/9
江戸の狩野派は武家社会に受け入れられ、日本各地で絶大な勢力を誇った。伊予松山藩においても、初代の松本山雪から明治にいたるまで、代々狩野派が御用絵師を引き継いでいたが、その途中で、狩野派ではない大和絵の ...
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狩野派唯一の「村狩野」・今村道之進
2021/7/9
文化文政の頃、東予一帯で活躍した狩野派の画人に今村道之進(1761-1830)がいる。道之進は、宝暦11年宇摩郡中曽根村に生まれ、21歳の時に京都に出て、狩野探幽の流れを汲む京都鶴沢派に学び、27歳で ...
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西条藩絵師・小林西台と各藩の狩野派
2022/9/5
木挽町狩野の流れは伊予の地に急速に広がり、大洲藩にやや遅れて西条藩からは小林西台(1794-1854)が出た。西台は、大洲藩の若宮養徳(1754頃-1834)と同じ木挽町狩野の門に学んだ。40歳ほど年 ...
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大洲藩御用絵師・若宮養徳とその門人
2022/9/5
加藤泰恒・文麗親子から引き継がれた木挽町狩野の流れは、木挽町狩野七代・狩野養川院惟信に学んだ大洲藩絵師・若宮養徳と、その門人たちによって、伊予大洲の地に伝えられた。かれらの絵画は大洲藩主ゆかりの如法寺 ...
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江戸木挽町狩野と伊予大洲藩の文人大名
2022/9/5
江戸時代も中頃を過ぎると、伊予の各藩では常任の絵師をおくことが一般化し、藩主自らが絵筆を握る文人大名も現れるようになった。大洲藩三代藩主・加藤泰恒は、江戸木挽町狩野二代・狩野養朴常信の門に入り、「泰常 ...
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江戸浜町狩野と松山藩御用絵師
2022/9/5
二代で終わった松本山雪・山月の後を受けて松山藩の御用絵師となったのは、豊田随園、武井周発、豊田随可の三代、三人である。かれらは江戸の浜町狩野家初代・狩野随川岑信、そして二代・随川甫信に学んだ江戸狩野派 ...