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柴秋邨と周辺の南画家
2025/4/14
阿波生まれの儒者・柴秋邨(1830-1871)は、幼くして父を失い、貧乏から身をおこして儒者になった。書も画も達人だったが、大酒飲みで酔余の作が多い。門弟が多くて交友も広く、河野鐵兜、藤井藍田らとも親 ...
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阿波の儒者・赤松藍州と藤井藍田
2025/4/14
阿波の儒者・赤松藍州(1787-1858)は京都で頼山陽の父・春水に儒学を、画を中井藍江に学び、阿波に戻って多くの門人を育てた。また、尊攘派の儒者・藤井藍田(1816-1865)は、書を八木巽所に、漢 ...
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中林竹洞の門人・藤重春山
2022/8/20
中林竹洞に学んだ阿波ゆかりの画人としては、京都在住の藩士の家に生まれた藤重春山(1828-1895)がいる。春山は阿波の蜂須賀家に出入りしていた御用町人で、笛の名手として宮中の儀式に招かれたこともあっ ...
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山本梅逸門下の阿波の画人
2022/8/20
尾張南画の全盛期を牽引した中林竹洞(1776-1853)と山本梅逸(1783-1856)は、ともに京都に出て、阿波の貫名海屋をはじめ多彩な文化人たちと交遊し、多くの門人を育てた。山本梅逸門下の阿波ゆか ...
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幕末の三筆・貫名海屋
2022/8/20
市河米庵・巻菱湖とともに幕末の三筆にかぞえられる貫名海屋(菘翁)は、阿波徳島藩の旧家で藤原鎌足以来の系譜を持つ小笠原流の礼方家であった吉井家の二代目当主・直好と藩御用絵師・矢野常博の娘との間に二男とし ...
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村瀬栲亭と阿波ゆかりの南画家
2025/4/14
藩の御用絵師となった南画家は、鈴木芙蓉・鳴門の鈴木家のみだったが、同時代に活躍した阿波ゆかりの南画家としては、京都で学び秋田藩に招かれて儒官となった村瀬栲亭(1744-1819)らがいる。栲亭は晩年に ...
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最古の阿波おどり図を描いた御用絵師・鈴木芙蓉
2022/8/20
藩の絵師は通常幕府にならって狩野派か住吉派から召し抱えられていたが、11代藩主蜂須賀治和は、儒者であり南画家の鈴木芙蓉とその養子・鳴門を徳島藩御用絵師とした。南画は民間において非常に流行していたが、徳 ...
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徳島藩船絵師・森崎家と資料
2022/8/20
森崎家は、徳島藩蜂須賀家に仕えた狩野派の絵師だったが、森崎桃春・春潮父子の時に、蜂須賀斉昌の意向で住吉派に転向した。その森崎家が伝えてきた粉本類が、徳島県立博物館に「森崎家資料」として収蔵されており、 ...
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木挽町狩野家と徳島藩の画人
2022/8/20
徳島藩御用絵師では、佐々木家の佐々木養郭をはじめ、矢野栄教、河野栄寿らは、幕府御用絵師の狩野派のうち最も繁栄したとされる木挽町狩野家の当主・狩野栄川院典信に学んだ。またその後も、記録でわかる限りすべて ...
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徳島藩御用絵師の系譜・佐々木家
2025/4/14
江戸時代になると世情も落ち着き、町絵師も多く出たが、徳島藩・蜂須賀家は将軍家にならい狩野派の画人を御用絵師とした。御用絵師の家系で最も古いのは佐々木家で、元禄頃に始まったとみられる。佐々木家については ...
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阿波で最も古い画人
2022/8/20
記録的に阿波で最も古い画人は、臨済宗の僧・周崇(1345-1423)である。破墨山水や人物画に優れていたという。また、阿波細川家当主の細川成之(1434-1511)も画人として名を残している。雪舟の門 ...
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紀伊の近代・日高昌克ら個性的な画家を輩出
2025/3/26
徳川御三家として栄えた紀伊の地では、紀伊狩野を中心とした御用絵師の系譜が長く続いたが、従来の絵画に飽きたらず新しい表現を探った儒者・祇園南海らを始祖とした南画家の登場や、様々な師系や独修の画家たちが活 ...
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紀伊の円山・四条派
2025/3/26
紀伊の円山・四条派としては、松村景文の門人である鎌田景麟(1808-1864)、景麟に学んだ塩谷景山(不明-不明)、挿図を多く描いた塩路鶴堂らがいる。また、月僊の門に学んだ森月航(不明-1814)も、 ...
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紀伊の大和絵師・岩瀬広隆
2022/8/19
岩瀬広隆は京都で生まれ、20代前半には「菱川清春」の名で、菱川師宣五代目を自称し、多くの版本挿画を手掛ける浮世絵師として京都で活躍した。若くして才能を開花させた広隆は、天保年間に『紀伊国名所図会』の挿 ...
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紀伊の南画家たち
2025/3/26
紀州三大南画家である祇園南海、桑山玉洲、野呂介石を輩出した紀伊には、その門人の他にもさまざまな師系の南画家が活躍した。大江龍眠の実弟で小田海僊に師事した大江霞岳、本草学者で南画をよくした坂本浩雪、『小 ...
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野際白雪と門人たち
2022/8/19
野呂介石の高弟で、紀伊藩のお抱え絵師を務めた野際白雪(1773-1849)は、介石に学びながらも、南画だけでなく、狩野派や四条派風の花鳥画も学んだようで、研究熱心で画域が広かった。また、多くの門人を育 ...