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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

跡見学園を創設し女子教育と絵画指導に尽力した跡見花蹊

2025/3/5  

跡見花蹊(1840-1926)は、摂津国西成郡木津村(現在の大阪市浪速区・西成区)で私塾を営む跡見重敬の二女として生まれた。幼いころから学問を好み、父に三字経や孝経を学び、父の私塾を手伝った。12歳で ...

大阪画壇を代表する女性画家として活躍した河辺青蘭

2025/3/3  

河辺青蘭(1868-1931)は、徳川幕府の御用銅吹業を営んでいた河辺伊右衛門の三女として改元前の大坂南堀江(現在の西区)に生まれた。幼いころから画を好み、10歳で巽蓼湾に絵画と茶技を学び、さらに橋本 ...

奥原晴湖と並び称された大阪の女性南画家・橋本青江

2025/2/28  

橋本青江(1821-1898)は、大坂船場で資産家の娘として育った。画を岡田半江に、書を篠崎小竹に学び、門人を抱えて一家を成し、幕末から明治初期の大坂で活躍した。代表的な門人である河辺青蘭によると、当 ...

砲術家として名を馳せ維新後は画に専念した田結荘千里

2025/2/26  

田結荘千里(1816-1896)は、但馬出身の儒医・但馬天民の子として大坂堂島に生まれた。画を金子雪操に学び、長崎で池部如泉に砲術を学び、自ら蘭学を修めるなど諸技に通じ、緒方洪庵とも交流があったという ...

養子となった田能村小斎ら関西での直入の門人

2025/2/24  

田能村小斎(1845-1909)は、播州北條(現在の兵庫県加西市北條町)に生まれ、明治維新後は大阪と京都で暮らした。田能村直入に師事し、直入の子供が突然死去したため養子となった。直入や子の小篁(187 ...

関西南画壇の発展に貢献した田能村直入・村田香谷

2025/2/21  

江戸時代に流行した南画は、明治時代になってもその人気は続き、大阪には豊後の田能村直入や筑前の村田香谷、姫島竹外をはじめ、西日本を中心に各地から南画家が集まり優れた作品を残した。 豊後国直入郡竹田村(現 ...

田能村竹田に出会い南画に専心した忍頂寺静村

2025/2/19  

忍頂寺静村(1804-1877)は、淡路に生まれた。幼いころから画を好み、大坂に出てはじめ上田公長に入門し写生画を学んだ。その後田能村竹田に出会い南画に専心するようになった。また、貫名海屋のもとで書を ...

江戸で谷文晁に学び大坂に移り住んだ魚住荊石

2025/2/17  

魚住荊石(1799-1880)は、越後古志郡和泉村(現在の新潟県長岡市)に生まれた。幼いころから画を好み、17歳で江戸に出て谷文晁に師事した。同門に高久靄厓がいた。諸国を遊歴したのち、大坂に移住して魚 ...

明治期の開化絵に秀作を残した二代長谷川貞信

2025/2/14  

二代長谷川貞信(1848-1940)は、初代貞信の長男として生まれ、明治8年に二代貞信を襲名した。父の初代貞信から画を学んだが、父の勧めで一鶯斎芳梅にも入門した。天保の改革以降、中判が主流となっていた ...

幕末・明治期の上方浮世絵界を支えた一養亭芳滝

2025/2/12  

一養亭芳滝(1841-1899)は、一鶯斎芳梅の門人で、安政年間から明治15年頃まで活躍し、幕末・明治期の上方浮世絵界を支えた。上方では最多の作品数を誇り、役者絵では、どの役者も吊り目、離れ眼ぎみに似 ...

初代長谷川貞信の門人と思われる長谷川宗広

2025/2/10  

長谷川宗広(不明-不明)は、初代長谷川貞信の門人と思われ、嘉永5年頃から慶応3年頃まで活動した。役者絵を手掛け、まとまった量の作品が確認されている。文久3年に限って一時的に二代北川豊秀を名乗ったが、翌 ...

三代豊国の門人と思われる歌川国員

2025/2/7  

歌川国員(不明-不明)は、江戸の三代豊国の門人と思われ、弘化4年頃から慶応3年頃に活躍した。歌川貞升らと同様に江戸の絵師に師事したが、上方の好みに合わせた画風で役者絵を描いた。また、芳雪、芳滝との合作 ...

五粽亭広貞の門に学び役者絵を描いた五葉亭広信

2025/2/5  

五葉亭広信(不明-不明)は、五粽亭広貞の門人で、嘉永4年頃から明治5年頃までの作画が確認されている。役者絵や絵入根本挿絵などを手掛け、多くの作品を残している。広信の役者絵は時代の流れに即して、全身像で ...

五粽亭広貞との同一人物説がある五蝶亭貞広

2025/2/3  

五蝶亭貞広(不明-不明)は、初代歌川国貞の門人と思われ、歌川姓を名乗った。天保から嘉永にかけての作画が確認されており、多くの役者絵や風俗画を残している。五粽亭広貞と同一人物である可能性が指摘されている ...

天保の改革後の上方浮世絵界を代表する五粽亭広貞

2025/1/31  

五粽亭広貞(不明-不明)は、画系は不明だが、初代歌川国貞の門人という説もある。天保の改革以後の上方浮世絵界を代表する絵師で、弘化4年頃から嘉永6年頃に活動し、主に役者絵を描いた。はじめは大首絵が中心だ ...

歌川貞升ら初代歌川国貞に師事した上方浮世絵師

2025/1/29  

歌川貞升をはじめ、貞広、貞芳は、江戸の初代歌川国貞に師事し歌川姓を名乗ったが、いずれも上方の好みに合わせた画風で役者絵を描いた。天保13年の天保の改革による役者絵版行の禁止により5年余りの画業の中断を ...