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高橋廣湖から堅山南風へと日本美術院の系譜をつないだ山中神風
2024/12/16
高橋廣湖の周辺にいた画家に山中神風(1883-1928)がいる。神風は、はじめ淵上誠方、淵上武貫に土佐派を学び、明治35年頃上京して梶田半古に師事した。その頃東京では、郷里の先輩・高橋廣湖が頭角を現わ ...
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杉谷雪樵の路線を継承し熊本日本画の近代化を担った近藤樵仙
2021/7/6
杉谷雪樵によって幕が開いた熊本における日本画近代化の流れは、門人である近藤樵仙によって引き継がれた。 熊本市に生まれた近藤樵仙(1865-1951)は、郷里で杉谷雪樵に師事し、その後雪樵とともに上京、 ...
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37歳で急逝した新進気鋭の新派画家・高橋廣湖
2021/7/6
熊本における日本画近代化の流れは、杉谷雪樵がその堰を切り、雪樵没後は門人である近藤樵仙がその路線を引き継いだ。そして、また別の流れの源となったのが高橋廣湖である。 高橋廣湖(1875-1912)は、雲 ...
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肥後熊本藩最後の御用絵師・杉谷雪樵
2021/7/6
幕末から明治における熊本画壇は、南画と復古大和絵系が二つの大きな流れを作っていたが、熊本藩の御用絵師をつとめていた矢野派の画家たちも画壇の一翼をになっていた。その矢野派本流のなかで、明治以降も活躍した ...
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遅れてきた南画家・竹冨清嘯、流浪の南画家・山田王延章
2021/7/6
竹冨清嘯(1833-1899)は、梶山九江とともに、明治期の熊本南画の双璧と謳われているが、九江が藩御用絵師の家に生まれ、門人も多数育成、明治中期の南画界を背負ってたった存在だったのとは対照的に、貧苦 ...
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熊本南画の第一人者・梶山九江
2021/7/6
熊本近代南画は、幕末から明治初期に活躍した佐々布篁石を嚆矢として、明治南画家の双璧と謳われる梶山九江、竹冨清嘯らに引き継がれ、熊本画壇において南画は一大勢力となった。 熊本南画の第一人者と称される梶山 ...
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近代熊本南画の嚆矢・佐々布篁石
2021/7/6
江戸時代後期、熊本は時習館、再春館を擁し学問の府として知られ、熊本に学ぶべく各地から多くの文人墨客が訪れた。天明2年には佐竹蓬平が長崎から熊本に入り、文政元年には頼山陽、小田海僊、文政10年には田能村 ...
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肥後土佐派の祖・福田太華
2021/7/6
熊本における復古大和絵の展開は、文政11年に福田太華(1796-1854)が《蒙古襲来絵詞》の模写を始めたことが始まりとされる。太華は専門の絵師ではなく、熊本藩の馬医だったが、故実に通じ、《犬追物絵巻 ...
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肥後の画僧・豪潮と宇土藩主・細川月翁
2024/12/21
肥後出身の天台宗の高僧・豪潮(1749-1835)は、書画もよくした。豪潮は天台宗の僧だが、その画題には、禅宗的(釈迦三尊や羅漢図)なものが多くみられる。これは豪潮が交友した珍牛や仙崖ら禅僧の影響と思 ...
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肥後狩野の祖・狩野成信
2021/7/6
熊本城築城の際に、初代藩主・加藤清正が狩野派の絵師を招き入れ障壁画を描かせたことによって熊本での狩野派の活動がはじまったが、寛永9年、加藤氏の改易によって細川氏が熊本に入国すると、細川家は代々矢野派の ...
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矢野派の全盛・五代矢野良勝と衛藤良行
2021/7/6
四代雪叟によって再興された矢野派は、次の五代良勝と雪叟の門人である衛藤良行らの世代に全盛を迎えた。良勝や良行らは、雪叟によって回帰された雪舟風の筆法を修得し、それを基礎として実景や動植物を写生、さらに ...
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矢野派の再興者・矢野雪叟
2021/7/6
三代茂安の時代に衰退していった細川家御用絵師・矢野家だが、茂安の養子・矢野雪叟(1714-1777)が四代目を継ぐと、牧谿や雪舟など和漢の古画の模写などを通じて雪舟流の画風を再興し、雪舟流を基調とする ...
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宮本武蔵ら余技の画人
2021/7/6
肥後熊本藩をおさめていた加藤家や細川家は、全国的にも有名な大名であり、文化的な素養も備えていた。そのため、著名な学者や兵法者を周辺に集め、また自然に集まりもした。加藤家における文英清韓、那波活所、細川 ...
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熊本近世絵画のはじまり-矢野派の祖・田代等甫
2021/7/24
熊本城の正確な築城年代は明らかになっていないが、慶長15年(1610)頃には大広間や花畑屋敷は完成していたと考えられている。当時は、各地の城で大規模な障壁画が描かれるようになっており、熊本城築城にあた ...
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野口彌太郎と長崎ゆかりの洋画家
2021/7/11
野口彌太郎(1899-1976)は、諫早市出身の銀行家・野口彌三の長男として東京に生まれ、父の仕事の関係で各地を転々としたが、父の田園生活を送らせたいとの思いから、明治44年の約半年間を諫早の小学校で ...
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大正初期の美人画作家・栗原玉葉と長崎ゆかりの日本画家
2024/12/11
大正初期の文展で美人画作家として活躍した栗原玉葉(1883-1922)は、現在の雲仙市に生まれ、上京して寺崎広業に学んだ。大正2年、第7回文展に初入選し、第8回展では褒状を受け、人気画家としての地位を ...