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大分の近世絵画・狩野派
2021/7/6
二豊(豊後と豊前の一部)の近世絵画は、18世紀までの狩野派の時代と、19世紀に入ってからの南画の時代に分けられる。江戸幕府で御用絵師をつとめ、地方でも勢力を強めていた狩野派は、大分においても200年ほ ...
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戦死した熊本初のシュルレアリスト・大塚耕二
2021/7/6
フィリピンで戦死した大塚耕二(1914-1945)の制作活動は10年にも充たないものだったが、大塚はその間、日本に入ってくる西欧の新しい芸術思想を次々と吸収し、初期の具象から抽象を経て、当時最前線とさ ...
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日本の画壇に新風をふきこんだ野田英夫
2021/7/6
日系移民の子として米国に生まれた野田英夫(1908-1939)は、30歳で早世し、わずか10年たらずの画業だったが、日本の画壇に初めて登場した際には、そのアメリカ的、社会派的な特異な画風で、ヨーロッパ ...
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海老原喜之助と熊本の独立美術
2021/7/6
熊本における独立美術協会の系譜は、戦災を避けて熊本に疎開し、以後15年間熊本に滞在した海老原喜之助を中心に展開していく。海老原は戦後を代表する作品のほとんどを熊本時代に描いており、一方で「海老原美術研 ...
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官展系の熊本の洋画家
2021/7/25
黒田清輝に師事した山田隆憲(1893-1953)は、外光派のスタイルをよく受け継ぎ、大正7年文展に初入選、昭和10年には帝展無鑑査となった。京都画壇から画業を始めた間部時雄(1885-1968)は、浅 ...
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熊本近代洋画の発展に寄与した青木彜蔵と伊藤直臣
2021/7/6
熊本洋画は黎明期を経て、次第に近代化への道を進んでいくが、その啓蒙的な役割を担ったのが、美術学校で学んだのち郷里に戻ってきた洋画家たちだった。彼らの働きにより、熊本洋画は飛躍的な発展をみせるようになる ...
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熊本洋画の先駆的人物・光永眠雷が描いた西郷隆盛
2021/7/6
熊本洋画の黎明期をになった画家としては、明治12年に上京し、イタリア人画家・キヨッソーネのもとで油絵を学んだ光永眠雷(1867-1928)が挙げられる。眠雷は東京で油絵を学んだのち、長崎、鹿児島に遊学 ...
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大正・昭和期の熊本の日本画家
2021/7/6
明治後期から大正にかけて、京都や東京の美術学校や画塾で学んだ青年画家たちが次々と帰郷し、大正・昭和期の熊本日本画壇を担った。東京美術学校を卒業後、母校の教師となった甲斐青萍(1882-1974)、福岡 ...
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肥後画家大系を著した日本画家・野田鋤雲
2021/7/6
野田鋤雲(1877-1929)は熊本市に生まれ、はじめ熊本の画家・小山聴雨に師事し南画を学んだ。その後京都市美術工芸学校に入学、菊池芳文、山元春挙、竹内栖鳳に学んだ。卒業後は帰郷し、熊本市で画塾を主宰 ...
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高橋廣湖から堅山南風へと日本美術院の系譜をつないだ山中神風
2024/12/16
高橋廣湖の周辺にいた画家に山中神風(1883-1928)がいる。神風は、はじめ淵上誠方、淵上武貫に土佐派を学び、明治35年頃上京して梶田半古に師事した。その頃東京では、郷里の先輩・高橋廣湖が頭角を現わ ...
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杉谷雪樵の路線を継承し熊本日本画の近代化を担った近藤樵仙
2021/7/6
杉谷雪樵によって幕が開いた熊本における日本画近代化の流れは、門人である近藤樵仙によって引き継がれた。 熊本市に生まれた近藤樵仙(1865-1951)は、郷里で杉谷雪樵に師事し、その後雪樵とともに上京、 ...
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37歳で急逝した新進気鋭の新派画家・高橋廣湖
2021/7/6
熊本における日本画近代化の流れは、杉谷雪樵がその堰を切り、雪樵没後は門人である近藤樵仙がその路線を引き継いだ。そして、また別の流れの源となったのが高橋廣湖である。 高橋廣湖(1875-1912)は、雲 ...
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肥後熊本藩最後の御用絵師・杉谷雪樵
2021/7/6
幕末から明治における熊本画壇は、南画と復古大和絵系が二つの大きな流れを作っていたが、熊本藩の御用絵師をつとめていた矢野派の画家たちも画壇の一翼をになっていた。その矢野派本流のなかで、明治以降も活躍した ...
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遅れてきた南画家・竹冨清嘯、流浪の南画家・山田王延章
2021/7/6
竹冨清嘯(1833-1899)は、梶山九江とともに、明治期の熊本南画の双璧と謳われているが、九江が藩御用絵師の家に生まれ、門人も多数育成、明治中期の南画界を背負ってたった存在だったのとは対照的に、貧苦 ...
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熊本南画の第一人者・梶山九江
2021/7/6
熊本近代南画は、幕末から明治初期に活躍した佐々布篁石を嚆矢として、明治南画家の双璧と謳われる梶山九江、竹冨清嘯らに引き継がれ、熊本画壇において南画は一大勢力となった。 熊本南画の第一人者と称される梶山 ...
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近代熊本南画の嚆矢・佐々布篁石
2021/7/6
江戸時代後期、熊本は時習館、再春館を擁し学問の府として知られ、熊本に学ぶべく各地から多くの文人墨客が訪れた。天明2年には佐竹蓬平が長崎から熊本に入り、文政元年には頼山陽、小田海僊、文政10年には田能村 ...