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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/2/13
久米桂一郎「残曛下絵」 黒田清輝とともに日本洋画に外光派の画風を取り入れ、洋画団体白馬会を結成するなど、明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎(1866-1934)は、佐賀城下に生まれ、8歳の時に ...
2024/12/14
百武兼行「マンドリンを持つ少女」 佐賀藩最後の藩主となった鍋島直大は、維新後は新政府の要職につくほか、明治4年には政府派遣の欧米視察団としてアメリカに渡り、その後はイギリスに留学した。その時に直大に随 ...
2021/8/10
天龍道人「鷹図」 18世紀に入ってから盛んになった南画では、文化6年に92歳で没した異数の人・天龍道人(1718-1809)がいる。天龍道人は、肥前鹿島に生まれ、のちに諸国を漫遊し諏訪で一家を成した。 ...
2021/7/8
左:長谷川雪旦「草花図」右:長谷川雪堤「蝦蟇仙人図」 唐津藩の御用絵師としては、文化14年以降この地を治めた小笠原氏の絵師となった江戸の画家・長谷川雪旦(1778-1843)が知られている。雪旦は、4 ...
2021/7/6
早い時期から東原庠舎や多久聖廟が創建された多久では、文教の基盤が確立され、幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した先駆者を多く輩出した。多久生まれの草場佩川(1787-1867)は、詩歌書画にすぐれ ...
2021/7/14
御厨夏園「多久聖廟の天井画」 佐賀藩多久領四代領主・多久茂文(1669-1711)は、幼いころから学問を好み、18歳で家督を相続してからは、多久の人々の教育促進のため、学問所である東原庠舎や、孔子像を ...
2021/7/6
肥前武雄では、広渡雪山の弟にあたる初代広渡心海(1596-1685)が、武雄邑主のお抱え絵師として活躍した。心海の没後は、心海に嫡男がいなかったため、女婿の広渡武則に家督を継がせて絵師としたが、武則の ...
2021/7/6
肥前佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂(1652-1706)は、博学で諸芸に通じ、才智無双の殿様として世人に称嘆されたという。幕府の学問を司っていた林家一門、殊に林鳳岡や人見竹洞と懇意にしており、鳳岡、竹洞の詩 ...
2021/7/24
葉山朝湖「楼閣山水図屏風」佐賀県立博物館蔵 肥前佐賀藩においては、初代藩主・鍋島勝茂、三代・綱茂、八代・治茂の代に比較的多くの絵師の名前がみられる。しかし、藩御用絵師の世襲、または門人らによる画風の継 ...
2021/7/13
山本作兵衛 筑豊炭田の中心地である嘉穂郡に生まれた山本作兵衛(1892-1984)は、7歳のころから親の手伝いで坑内で働きはじめ、以来50年以上を炭坑労働者としてヤマとともに生きた。当初は高度経済成長 ...
2021/7/13
タイガー立石「アラモのスフィンクス」 炭鉱で栄えた筑豊地区は、戦中戦後の混乱期に石炭増産に沸き、中央から映画や芝居、漫画といった多くの大衆文化が流入してきた。戦後前衛美術の旗手の一人として活躍したタイ ...
2022/2/21
寺田政明「灯の中の相談」 福岡県八幡市(現北九州市)に生まれた寺田政明(1912-1989)は、16歳で上京、福沢一郎や松本竣介らと前衛美術運動を展開し、池袋モンパルナスの中心人物として活躍した。田川 ...
2021/7/14
高島野十郎「蝋燭」 久留米生まれの高島野十郎(1890-1975)は、昭和50年に85歳で没するまで、どの団体にも属さず、福岡と東京で開いた数少ない個展を唯一の発表の場とした。「画壇と全く無縁になる事 ...
2021/7/14
上田宇三郎「水」 戦後の福岡での最初の美術運動といわれる「朱貌社」は、洋画家の宇治山哲平、赤星孝、山田栄二と、日本画家の上田宇三郎(1912-1964)、久野大正(1913-1987)によって、昭和2 ...
2024/12/11
児島善三郎「代々木の原」 日本の自然風景を装飾化、様式化することによって「児島様式」と呼ばれる日本的洋画を完成させた児島善三郎(1893-1962)は、昭和5年二科会を脱退し、日本のフォビスムを旗印に ...
2024/12/11
古賀春江「埋葬」 大正3年、文部省展覧会から分離して、在野の洋画団体として二科会が誕生した。その創立会員に久留米出身の坂本繁二郎が名を連ねていた関係で、坂本を慕う同郷の若い画家たちの多くが二科会に参加 ...
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