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幕末の越後画壇で画名を高めた長谷川嵐渓
2022/3/22
長谷川嵐渓「清和時節図」 長谷川嵐渓(1814-1865)は、蒲原郡三条町(現在の三条市)で醤油醸造を営んでいた会津屋吉右衛門の長男として生まれ、20歳頃に越後を訪れた漢学者・大槻磐渓に従って江戸に出 ...
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多くの門人を育て三条画人の名を高めた行田雲濤
2022/4/8
行田雲濤「神功皇后之図」 行田雲濤(1798-1853)は、蒲原郡一ノ木戸村(現在の三条市神明町)の神明宮の宮司の子として生まれ、40歳前後に父の跡を継いで神明宮の神官となった。早くに画技に目覚め、京 ...
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越後三条の先駆的画人・五十嵐華亭
2022/3/16
五十嵐華亭「深山に鷹」 天保・弘化期から幕末にかけて、越後の三条地域(現在の新潟県三条市)からは多くの画人が出ており、三条画人と呼ばれた。五十嵐華亭(1780-1850)は、その先駆的な画人で、神官の ...
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諸国を遊学し越後南画の先駆者となった石川侃斎
2022/3/14
石川侃斎「蘭亭曲水之図」新潟市歴史博物館蔵 石川侃斎(1764-1840)は、新潟町(現在の新潟市)の役人の家に生まれ、幼いころから書画を好んでいたが、地元では特定の師匠についた形跡はなく、若い時から ...
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良寛ら越後文人に大きな影響を与えた亀田鵬斎
2022/3/11
亀田鵬斎「出雲崎より佐渡を望む図并詩」糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》蔵 江戸神田に生まれた亀田鵬斎(1752-1826)は、6歳頃から素読を飯塚肥山に、書を細井広沢の門人・三井親和に習い、14 ...
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越後に本格的な南画を伝え出雲崎で客死した釧雲泉
2022/3/9
釧雲泉「高隠自適図」 釧雲泉(1759-1811)は、肥前島原藩士の子として島原(現在の長崎県雲仙市)に生まれ、幼くして長崎に学び、中国語にも通じ、中国古画に学んで山水画を得意とした。やがて故郷を離れ ...
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久隅守景の子として生まれ狩野探幽に師事するが吉原通いが過ぎて破門され佐渡に島流しとなった狩野胖幽
2022/3/7
狩野胖幽「鷹猫図屏風」(左)佐渡市立佐渡博物館蔵 狩野胖幽「鷹猫図屏風」(右)佐渡市立佐渡博物館蔵 狩野胖幽(1649-1730)は、本名を久隅彦十郎といい、狩野探幽門下の四天王のひとり・久隅守景の子 ...
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熊斐の後継者として南蘋派の普及につとめた森蘭斎
2022/3/4
森蘭斎「海棠寿帯鳥図」 越後国頸城郡新井村(現在の妙高市)に生まれた森蘭斎(1740-1801)は、若いころから画才に恵まれ、はじめ新潟町の五十嵐浚明に学んだ。その後、浚明の勧めで24歳頃に長崎に遊学 ...
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江戸中期の越佐画壇を主導した五十嵐浚明
2022/3/2
五十嵐浚明「商山四皓・虎渓三笑図」十輪寺蔵 五十嵐浚明(1700-1781)は、新潟町(現在の新潟市)の商家に生まれた。幼いころから画才を発揮し、20代後半までは家業を手伝いながら暇をみつけては画を描 ...
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創作版画運動の普及と信州の版画家
2022/2/24
山口進「五月の上高地」 山本鼎らが提唱した「自画・自刻・自摺」の創作版画運動は、大正に入って広く普及するようになる。その動きを受けて織田一磨が山本鼎に働きかけ、大正7年に「日本創作版画協会」が結成され ...