yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

地質学・植物学を導入して描いた高島北海

2021/7/9  

高島北海「長門峡真景図」毛利博物館蔵 萩藩医の家に生まれた高島北海(1850-1931)は、幼いころから画を好み、雪舟や渡辺崋山の画法を研究した。また、西欧文化の影響を受けてフランス語の勉強を志し、地 ...

下関岸家三代の祖・江陵岸賢と防長の岸派

2021/7/9  

江陵岸賢(不明-1825)は、下関出身でもっとも古い画家とされ、岸賢、岸規、岸明と三代続く下関岸家三代の祖として知られる。「岸」を名乗ったのは、京都の岸派を学んだためで、子の岸規、孫の岸明は、それぞれ ...

森寛斎と山口の門人

2023/9/27  

森寛斎「古柏猴鹿図」宮内庁三の丸尚蔵館蔵 萩藩士の子として生まれた森寛斎(1814-1894)は、幼年期に、四条派や岸派の画風を学んだと思われる画家・大田龍について画を学び、18歳になると、上坂する藩 ...

大庭学僊と門人

2021/7/9  

大庭学僊「雪中芦雁図」 大庭学僊(1820-1899)は、徳山に生まれ、11歳の時に徳山藩御用絵師・朝倉南陵に師事、18歳の時に京都に出て、下関出身の小田海僊のもとで画技をみがき、海僊の養子となった。 ...

小田海僊と防長の門人

2021/7/9  

小田海僊「陶弘景図」 周防国富海に生まれた小田海僊(1785-1862)は、京都に出て四条派の松村呉春に学び、松村景文や岡本豊彦と名声を競ったが、頼山陽から絵に品格がないと指摘されたことから、学問を積 ...

周防徳山藩御用絵師・朝倉南陵と徳山の画人

2021/7/9  

朝倉南陵「孔雀図」山口県立美術館蔵 朝倉家は五代続いた周防徳山藩御用絵師の家系で、朝倉南陵(1757-1844)はその四代にあたる。初代繁経は、表具師として徳山藩に召し抱えられ、雲谷派の雲谷等恕に学ん ...

防長における南画の祖・矢野括山と門人

2021/7/9  

矢野括山(1780-1845)は、周防・長門における南画の祖とされ、画のほかに書や篆刻も巧みで、岡田半江、浦上春琴、小田海僊、貫名海屋、田能村竹田ら南画家と広く交流、防長の地に南画を根付かせた。門人に ...

萩藩儒者・佐々木縮往と萩の初期画人

2021/7/9  

萩藩の儒者・佐々木縮往(1648-1733)は藩医の家の生まれ、経学文章を学びながら、中国明画を研究し独自の画風を確立した。儒者としてよりも画人として知られ、幕府の儒者・荻生徂徠(1666-1728) ...

狩野芳崖へと続く長府狩野派の系譜

2023/9/27  

狩野芳崖「悲母観音図」(重文)東京藝術大学蔵 江戸末期から明治期にかけて、伝統的な狩野派に西洋画の技法を取り入れ、新しい日本画の創造に情熱を注いだ狩野芳崖(1828-1888)は、長府藩御用絵師の家系 ...

周防・長門国各藩の狩野派

2021/7/9  

長府藩では、笹山家のほかに諸葛家が御用絵師をつとめた。諸葛家初代の諸葛函溪(1780-1848)は、狩野陽信の養子になったが、のちに陽信に実子の狩野晴皐が生まれたため、家を出て新たに諸葛家をおこした。 ...

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