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明治・大正生まれの鳥取出身の日本画家
2021/7/9
八百谷冷泉「一行寺本堂内天井画」一行寺蔵 鳥取市の左官の家に生まれた八百谷冷泉(1887-1959)は、地元の中住道雲に師事したのち、京都に出て山元春挙に入門した。大阪美術学校で後進の指導にあたるとと ...
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浪速の町絵師・菅楯彦
2021/7/9
菅楯彦「春宵宜行」 鳥取に生まれた菅楯彦(1878-1963)は、幼くして父で日本画家の菅盛南とともに大阪に移住した。父の没後は特定の師にはつかず、諸派の画法を研究し、独自のスタイルを確立した。常に勉 ...
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四条派を学んだ青木図南と門人の菅盛南
2021/7/9
青木図南「風神雷神図」 京都に出て四条派の柴田義董に学んだとされる青木図南(1790-1859)は、特に人物画を得意とし、一見して誰を描いたかが分かるほどの技量だったと伝わっている。しかし、同時代の鳥 ...
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鳥取ゆかりの近世南画家
2021/7/9
左:塔然「冬景山水図」、中:塔然「松下人物図」、右:越寛一「鯉図」 米子の漁師の家に生まれ、のちに大山寺に入って僧となった嗒然(1796-1861)は、独学で画法を修得し、「嗒然の千枚書き」と称される ...
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鳥取藩の学制改革につとめた正墻適処とその高弟・山内篤処
2021/7/9
正墻適処「山水図」 鳥取藩の藩医の子として生まれた正墻適処(1818-1875)は、はじめ建部樸斎に経学を学び、のちに江戸、大坂に出て学を修め、多くの文人と交流した。詩文を好み、書画をよくし、温雅な作 ...
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鳥取南画の祖・赤山水の建部樸斎
2021/7/9
建部樸斎「山水図」 鳥取で最初に南画を描いたのは、鳥取藩西舘藩士・建部樸斎(1769-1838)とされる。樸斎は、家督を継いだ24歳頃から経学を修め、書を学び、画をよくした。師系は明らかではないが、詩 ...
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谷文晁の実弟・島田元旦
2021/7/9
島田元旦「雪中山水図」 谷文晁(1763-1840)の実弟として生まれた谷元旦(1778-1840)は、鳥取藩江戸留守居役を務めていた島田図書の養子となり、島田家を継いで島田と改姓した。15歳離れた兄 ...
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紫の糸で長い髪を束ね、大道を闊歩した鬼才・片山楊谷
2021/7/9
片山楊谷「花王獣王図」鳥取県立博物館蔵 長崎の医師の家に生まれた片山楊谷(1760-1801)は、幼くして親を亡くし、画道で身を立てることを決意し、絵筆を携えて諸国を歴遊した。大坂、甲斐、江戸などを巡 ...
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鳥取画壇の祖・土方稲嶺、鯉の名手と謳われた門人の黒田稲皐と小畑稲升
2021/7/9
土方稲嶺「麝香花下悠々之図」 鳥取画壇の祖と称される土方稲嶺(1741-1807)は、鳥取に生まれ、江戸に出て宋紫石の門に入り南蘋派を学んだ。のちに京都に移り、一説には円山応挙に師事したとされる。寛政 ...
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橋本秀峰ら鳥取の狩野派の絵師
2021/7/9
左:橋本秀峰「野馬図」、右:二熊一笑「大江山図」 鳥取藩士だった橋本秀峰(1796-1883)は、文芸や書にも広く通じ、江戸の藩務のかたわら鍛冶橋の狩野探淵に師事し、野馬図を得意とした。鳥取出身で、は ...