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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま滋賀県を探索中。

広重版画にも使われた『日本勝地山水奇観』の著者・淵上旭江

2021/7/9  

淵上旭江・宮本君山「唐武将図」 備前に生まれ、諸国を歴遊したのち大坂に定住した淵上旭江(1753-1816)は、各地の名勝を描いた画と詩による版画集『日本勝地山水奇観』を寛政11年に刊行した。同書はの ...

岡山に南画を伝えた讃岐の黒田綾山と肥前の釧雲泉

2021/7/9  

黒田綾山「虎に叭々鳥図」 岡山に本格的な南画を伝えたのは讃岐の黒田綾山(1755-1814)である。綾山は、福原五岳に学び、人物画を得意とした。安永9年ころに備中玉島に遊び、この土地を愛し、天明5に再 ...

浮世絵師から津山藩御用絵師になった鍬形蕙斎

2021/7/9  

鍬形蕙斎「江戸名所の絵」 江戸の畳職人の家に生まれた鍬形蕙斎(1764-1824)は、浮世絵北尾派の祖・北尾重政の門に入り、17歳の時から北尾政美の名で浮世絵師として活躍していたが、31歳の時に美作国 ...

美作の南画家、広瀬臺山・飯塚竹斎と門人

2021/7/9  

広瀬臺山「蓬莱山図」 美作の南画家としては、広瀬臺山(1751-1813)が代表的存在である。臺山は、津山藩士の子として同藩大坂屋敷に生まれ、16歳から福原五岳に師事して南画の道に入った。29歳で家督 ...

浦上春琴と岡山の門人

2021/7/9  

浦上春琴「僊山清暁図」 父・浦上玉堂が、巧みに描こうとせず、心の動きのままに筆をとり、自らが専門画家であることを恥じて、それを拒否していたのとは対照的に、子の浦上春琴(1779-1846)は、如才のな ...

岡山近世画人として最大の存在・浦上玉堂

2021/7/9  

浦上玉堂「山水図」(煙霞帖)重文 岡山ゆかりの近世画人として最大の存在は、浦上玉堂(1745-1820)だろう。玉堂は、もともと鴨方藩の武士だったが、風雅の道を求めて50歳になる年に脱藩した。脱藩の理 ...

幕末明治の狩野派、狩野永朝と日置雲外

2021/7/9  

狩野永朝「蓬莱山図」 幕末から明治にかけて狩野派の系譜を継承した岡山の画家としては、狩野永朝(1831-1900)と日置雲外(1829-1918)がいる。狩野永朝は、京狩野九代狩野永岳の養子で、弘化年 ...

美作津山藩の初代御用絵師・狩野洞学

2021/7/9  

狩野洞学「唐絵写巻 学李龍睡図」 美作津山藩松平家においても御用絵師は狩野派の門流だった。津山狩野家の祖とされる狩野洞学(不明-1743)は、延宝5年、津山藩松平宣富に江戸で召し出され、津山に転居、翌 ...

備前岡山藩の狩野派

2021/7/24  

池田綱政「文殊図」 備前岡山藩の御用絵師は、狩野三徳、狩野自得、長谷川常時の狩野派三家が代々つとめていたされるが、狩野守則、長谷川常時、長谷川常宇らの作品が少数残っているのが確認される程度で、伝わる資 ...

武人画家・宮本武蔵

2021/7/9  

宮本武蔵「布袋観闘鶏図」(重美) 二刀流の剣豪として名高い宮本武蔵(1584-1645)も岡山ゆかりの画人である。「二天」と号して画筆をとり、個性豊かな作品を残している。出生地は美作説のほかに播磨説も ...

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