
今尾景年「鷲猿図」東京国立博物館蔵
今尾景年(1845-1924)は、京都衣棚二条北の友禅業を営む家に生まれた。10歳の頃から浮世絵師の梅川東巨のもとで修業し、14歳で鈴木百年の門に入った。生家の家業である友禅図案の仕事に従事する一方で、諸派も研究し、鈴木松年、久保田米僊、畑仙齢とともに百年門の四天王と称されるようになった。
博物学者に指導を受けるほど科学的で精密な写生によりながらも、鮮やかな色彩と情趣豊かで繊細美麗な花鳥画で知られ、内国絵画共進会、内国勧業博覧会や万国博覧会など内外の展覧会で高い評価を受け、連年のように受賞を続けた。明治初年から大正期まで常に京都画壇の一線で活躍し、竹内栖鳳や山元春挙が推進した日本画の近代化運動の一端も担った。
今尾景年(1845-1924)いまお・けいねん
弘化2年京都生まれ。友禅悉皆業・今尾猪助の三男。名は永勧、幼名は猪三郎、字は子裕。別号に三柳閣、聊自楽、養素斎などがある。安政2年浮世絵師の梅川東居に師事、安政6年鈴木百年の門に入った。明治8年第4回京都博覧会で褒状。明治10年第6回京都博覧会で銀賞を受賞。明治13年京都府画学校に出仕。明治15年第1回、明治17年第2回の内国絵画共進会ではいずれも銅賞を受賞。明治21年京都府画学校嘱託教授。明治26年シカゴ・コロンブス世界博覧会で名誉賞牌、明治28年第4回内国勧業博覧会で妙技2等。明治29年日本絵画協会第1回共進会で銀牌、同年如雲社の後継団体である京都後素協会の委員長に就任。明治33年パリ万国博覧会で銀牌、明治37年セントルイス万国博覧会で金牌、明治44年イタリア万国博覧会で2等賞を受賞した。明治37年帝室技芸員に任命され、明治40年に開設された文展では審査員に、大正8年の帝国美術院の開設にあたっては会員となった。大正13年、79歳で死去した。
京都(146)-画人伝・INDEX
文献:円山応挙から近代京都画壇、京都と近代美術、京都国立近代美術館所蔵名品集[日本画]、近代の京都画壇、近代京都日本画史、日本画家人名事典、日本美術院百年史1巻上、日本美術全集16
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