画人伝・京都 琳派 花鳥画

宗達の様式を継承・発展させ一世を風靡した尾形光琳

尾形光琳「孔雀立葵図屏風」(右隻)重文

尾形光琳「孔雀立葵図屏風」(右隻)重文

琳派は、狩野派や土佐派のように血縁・師弟関係によって直接引き継がれた流派ではなく、私淑関係によって先人の作品を学んで引き継いでいった点に特徴がある。代表的絵師である俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一は、ほぼ100年ごとに出現し、日本美術における一大潮流として琳派芸術を盛り上げた。

祖とされる宗達が活躍したのは桃山時代から江戸時代初期という変革期の京都で、宮廷や上層町衆の間では、王朝文化に対する憧れから古典復興の気運が高まっていた。宗達はそれに応え、金銀を多用した鮮やかな色彩の作品を制作し、宗達の芸術は時代を代表するものとなった。

宗達の時代より約100年後に京都に登場した尾形光琳は、裕福な呉服商の二男として生まれ、30歳代後半頃から本格的に絵師の道を志した。はじめ狩野派の絵画を学んだが、宗達の芸術に心酔し、それを継承・発展させ、洗練させた作風で一世を風靡した。

尾形光琳(1658-1716)おがた・こうりん
万治元年京都生まれ。高級呉服商「雁金屋」を営む尾形宗謙の二男。幼名は市之丞、通称は藤重郎、字は惟富。別号に方祝、道崇、寂明、澗声、伊亮、青々堂、長江軒などがある。30歳の時に父が没し遺産を相続、この頃狩野派の山本素軒に入門したと思われる。その後経済的に困窮し30歳代後半で本格的に絵師として活動し、私淑していた俵屋宗達の作風の新展開を行ない、琳派を代表する存在となった。元禄14年、44歳の時に法橋に叙された。宝永年間には数度江戸に出て酒井家や津軽家などの大名家、冬木家などの豪商に出入りした。正徳6年、59歳で死去した。

京都(79)-画人伝・INDEX

文献:日本絵画名作101選、近世やまと絵50選、日本美術全集13、日本美術絵画全集・第17巻




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