漆山村(現在の山形市)の設楽東玉斎とほぼ同時代に活躍した絵師に、尾花沢の沼沢永朔がいる。永朔は、若いころ江戸に出て狩野家に入門し、「狩野」の姓を許されたとされ、江戸後期の尾花沢を代表する絵師であり、40点ほどの作品が確認されている。残された作品からは、狩野派だけでなく、四条派、土佐派の画法の習得もうかがえるが、その人となりを著した資料はほとんどない。
また、同時代の尾花沢に「狩野永清」という絵師の存在が確認されているが、これを永朔の弟子とする説(武田喜八郎著作集巻2)と、永朔と同一人物とする説(野口孝雄著:落款からわかる絵師・沼沢永朔の別号とその作品)がある。
沼沢永朔(1761-1839)ぬまさわ・えいさく
宝暦11年尾花沢生まれ。沼沢又右衛門・平七の長男。幼名は寒次郎、のちに永作。江戸後期の尾花沢地方においては狩野派随一と評されている。若いころ江戸に出て狩野派に学び、狩野の称号を許された。天保10年、78歳で死去した。
山形(19)-画人伝・INDEX
文献:尾花沢市史(上巻)、村山の歴史、天童美術の流れ展、 武田喜八郎著作集巻2、「落款からわかる絵師・沼沢永朔の別号とその作品」(掲載誌:山形民俗、著者:野口孝雄)