明治27年10月22日、山形県庄内地方は、当時東北未曾有と称された大地震に見舞われた。災害は庄内全地区に及び、死者718名を出す大惨事となり、最も被害が大きかったのは、酒田を中心とする最上川下流域、赤川、大山川、藤島川の合流点付近だった。
当時の様子は、石版画6点組「酒田大震真写図」に描かれている。作者の恒川鶯谷は、名古屋生まれの、土佐派、南画などを修めた画家で、酒田八軒町に住んでいた縁者の本間六兵衛宅に同居し10年余りを酒田で過ごしており、その間、酒田大地震に遭遇し、版元・池野伝左衛門の依頼で、地震の様子を描いたと思われる。
鶯谷は、花鳥画をはじめ山水、人物など多くの作品を酒田に残し、大正初期に名古屋に引き揚げ、書道教室を開いて余生を送ったという。
恒川鶯谷(1846- 1928)つねかわ・おうこく
弘化3年名古屋生まれ。恒川宕谷の養子。はじめ森高雅について土佐派を学び、つぎに張晋斎に南北合法、さらに長崎の鉄翁祖門から南宗画を学んだ。また、書をよくし書壇でも活躍した。昭和3年、82歳で死去した。
山形(14)-画人伝・INDEX
文献:愛知画家名鑑、酒田市史史料篇第7集、酒田市立資料館開館20周年記念図録