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UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

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画壇を代表する多くの日本画家を輩出

2025/3/6  

岐阜の代表的日本画家としては、愛知に生まれ岐阜に移り住んだ川合玉堂(1873-1957)をはじめ、恵那の前田青邨(1885-1977)、岐阜の川崎小虎(1886-1977)、稲葉の加藤栄三(1906- ...

虎図の大橋翠石と岐阜の動物画家

2022/8/16  

多くの画家たちが京都画壇を目指すなか、大垣の大橋翠石(1865-1945)は東京に出て渡辺小華に師事し南画を学び、その後、動物画を研究し、特に虎図では写実に徹した独自の画法を確立した。 虎図は、室町の ...

京都画壇で学んだ飛騨の日本画家

2025/3/6  

飛騨に生まれて京都画壇で修業した日本画家のうち、塩川文麟に師事した垣内右嶙・垣内雲嶙父子は、のちに金沢に移り金沢画壇で活躍した。山元春挙に師事した玉舎春輝は春挙・栖鳳門下を中心に設立された日本自由画壇 ...

京都画壇で学んだ美濃の日本画家

2025/3/6  

明治中期、全盛を誇った南画が衰退しはじめ、岐阜で画を志すものの多くは京都画壇を目指すようになった。岐阜の若者たちは、京都で画塾に入ったり、内弟子になったりして画の道を歩きはじめた。当時の京都画壇で主流 ...

山本芳翠と洋風絵画

2025/3/6  

文明開化の新時代に入って南画と並んで盛り上がりをみせたのは洋風絵画だった。山本芳翠(1850-1906)は岐阜県恵那郡明知村に生まれ、京都で久保田雪江に南画を学んだが、明治初期に洋画に転じ、明治39年 ...

飛騨の南画家

2022/8/16  

飛騨の学問は、国学に田中大秀、儒学・漢学に赤田臥牛がいたが、中心になっていたのは門下生も多い田中大秀の国学だった。そうしたこともあってか、美濃に比べると南画を志すものが少なく、主な南画家は貫名海屋に学 ...

飛騨ゆかりの初期画人

2025/3/6  

金森長近が高山の城下町を京都に模して整備して以来、飛騨の人たちにとって京都文化は身近な存在で、高山や古川の祭り屋台にも京風文化がみられる。江戸中期に飛騨で活動した画人たちも、多くは京都から来たか、また ...

飛騨における和漢両学の大家、田中大秀と赤田臥牛

2021/7/10  

江戸中期になると、飛騨の町人の生活水準はあがり、富裕な町人や旦那衆にとっても学問は教養として必要なものとなった。当時の高山には国学と和歌に田中大秀(1777-1847)、儒学と漢学に赤田臥牛(1747 ...

飛騨の匠から彫刻家へ、飛騨一刀彫りの祖・平田亮朝

2025/3/6  

天才と称された谷口与鹿のほかにも、飛騨からは多くの名人、名工が出ている。飛騨の匠の中興の祖・藤原宗安の末裔だと伝わっている水間相模、京都東本願寺の御影堂を建てた石田春皐をはじめ、村山、谷口、遠藤、土村 ...

不世出の天才と称された屋台彫刻の谷口与鹿

2025/3/6  

江戸中期になると、建築・彫刻分野で名工、名人が登場する。松田太右衛門は、高山及び近在の寺院建築に腕をふるい、門下から優秀な人材を輩出した。太右衛門の技は師弟相伝で受け継がれ、弟子に東雲勘四郎、今井庄兵 ...

飛騨の匠・伝説の画人

2021/7/10  

豊かな森林に恵まれた飛騨では古くから木工が盛んで、飛騨の匠(たくみ)と呼ばれる大工や木工師が全国各地の宮殿や寺院の建立に携わった。「飛騨の匠」にまつわる伝説は多く、歴史に名が残っている最初の画家といわ ...

明治期の美濃の南画家

2025/3/6  

明治に入っても南画の流行はやまず、第一世代の子や弟子を含め多くの南画家たちが活躍した。明治15年に東京で開かれた絵画共進会には中国南宗派として岐阜県からも多くの入選者を出している。しかし、全国的傾向と ...

異色の南画家・安田老山と蓑虫山人

2022/8/15  

明治の南画壇において名声を博した美濃出身の異色の南画家として安田老山がいる。老山は高須藩の侍医の子として江戸の藩邸に生まれた。養老山からとって、名を養、号を老山とした。長崎に行って鉄翁祖門に南画を学び ...

近江、尾張、三河にまでおよんだ高橋杏村の門人

2022/8/15  

京都で中林竹洞に学んだ高橋杏村(1804-1868)は、のちに帰郷し、梁川星巌に漢詩を習い、西濃の漢詩人・神田柳渓と交わり、さらに昌平校の儒官・曾我耐軒が美濃に来た時に経学を学んだという。弘化のはじめ ...

村瀬一族の奇才・村瀬太乙

2025/3/6  

村瀬藤城、秋水ら優秀な学者や南画家を輩出した村瀬一族だが、その中でもひときわ異彩を放っていたのが村瀬太乙である。太乙は、藤城、立斎、秋水の村瀬三兄弟の従兄弟の子にあたり、詩、書、画すべてに才能を示した ...

美濃の南画、村瀬秋水の一族と門人

2022/8/15  

美濃の南画壇にあって影響力のあった南画家のひとりに村瀬秋水がいる。村瀬秋水は、美濃上有知の造り酒屋で庄屋を務める村瀬敬忠の三男として生まれた。長兄は頼山陽門の儒学者・村瀬藤城、次兄の村瀬立斎は尾張藩医 ...

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昭和59年(1984)、田中一村(1908-1977)が奄美大島で没して7年後、NHK教育テレビ「日曜美術館」で「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村~」と題して一村の画業が紹介され、大きな反響を呼んだ。 ...

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新しい日本画を追求して近代日本画壇を牽引した横山大観

横山大観(1868-1958)は、明治元年水戸藩士の子として現在の茨城県水戸市に生まれた。10歳の時に一家で上京し、湯島小学校に転入、つづいて東京府小学校に通った。同校卒業後は私立の東京英語学校に進学 ...

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