画人伝・大阪 浮世絵師

文化・文政期を代表する上方浮世絵師・春好斎北洲

春好斎北洲「一谷嫩軍記」

春好斎北洲「一谷嫩軍記」

流光斎如圭松好斎半兵衛以後の大坂役者絵は、文化末・文政期、天保期、嘉永・安政期に三分できる。隆盛期となる文化末・文政期を代表する絵師としては、松好斎の門人でのちに葛飾北斎に入門したと思われる春好斎北洲がいる。作画期は文化4年から天保3年までの26年間で、作品数も250点近く確認されており、質・量ともに上方随一の絵師とされる。

春好斎北洲(不明-不明)は、数少ない資料から推察すると、船場の人で、その土地柄から材木商の旦那だったと思われる。三代目中村歌右衛門のちょっと知られたひいきで、家業ではなく好きで役者絵を描いていたと思われる。春好または春好斎の名で文化4年から12年間作画したのち、文化元年に江戸から上方に旅していた北斎に入門したと思われ、この年の作品からは春好斎北洲に改名して「よしのやま」の印を用いている。

春好斎北洲(不明-不明)しゅんこうさい・ほくしゅう
大坂の人。文化・文政年間に活躍した。春好、春好斎、北洲、雪花亭などと号した。紙商を営むかたわら浮世絵をよくし、松好斎の門に入り、のちに葛飾北斎に入門したとされる。春好と名乗る時期は師風を伝えて佳作が多く、のち春好斎北洲となって作風は固定するが、特に大首絵に名品を残した。

春蝶(不明-不明)しゅんちょう
大坂の人。春好斎北洲の門人。文化11年頃から文政年間中頃に作画したと考えられる。師の北洲をはじめ他の絵師たちとの合作による役者絵が多い。文政4年から6年には合羽摺も手掛けている。

春頂斎北松(不明-不明)しゅんちょうさい・ほくしょう
大坂の人。春好斎北洲の門人。文政から天保年間に作画した。役者絵のなかでも中芝居で活躍した役者の大首絵を手掛けた。

春曙斎北頂(不明-不明)しゅんしょさい・ほくちょう
大坂の人。春好斎北洲の門人。文政5年から13年頃まで活躍し、役者絵を描いた。北洲の門人としては北英に続く作品数が確認される絵師で、役者絵の人物や背景描写から確かな画力が確認される。四枚続、五枚続といったパノラマの役者絵を多く手掛けた。

春陽斎北敬(不明-不明)しゅんようさい・ほっけい
大坂の人。春好斎北洲の門人と思われる。のちに葛飾北斎にも入門し、文政元年に北敬と改名した。文化10年から文政元年まで作例が確認でき、上方の好みに合わせた役者絵を描いた。

画登軒春芝(不明-不明)がとうけん・しゅんし
大坂の人。春好斎北洲の門人と思われる。文政6年頃から作例が確認され、天保年間まで活躍したと考えられる。北洲をはじめ同時代の絵師たちに倣った画風で役者絵を描いた。文政年間後期に当時大坂中芝居で活躍していた二代目尾上多美蔵の作品を多く描いた。門人は多く、春枝、春要、春花、春朝、春勢らがいる。

大阪(58)-画人伝・INDEX

文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、浪華人物誌2、近世の大坂画壇、上方の浮世絵-大坂・京都の粋と技、上方浮世絵の世界




-画人伝・大阪, 浮世絵師

© 2025 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5