松本奉時(不明-1800)は、大坂の江戸堀に住み、表具師を生業とした。天明6年に見た瑞夢を契機に、多くの書画を収集して「奉時清玩帖」などの画帖に仕立て、自らも絵筆を執り、蝦蟇図のほか、花卉や山水を描いた。
師系については、岡田樗軒著『近世逸人画史』によると「蕪村に画を学んで山水画法を会得した。また戯れに煙管に墨をつけて蟾蜍(ヒキガエル)を描いた」とあるが、奥田尚斎著『拙古堂文集』には「絵は福原五岳を師友とした」とある。また、皆川淇園著『淇園文集』には「蛙を好み、声の良い蛙を飼い、蛙にちなんだ物品を蒐集した」と記載されている。
多くの知友がおり、木村蒹葭堂、細合半斎、平賀蕉斎、菅茶山らと交流したことが知られている。また、山城国深草に住んでいた伊藤若冲を訪ね、寛政10年刊『続近世畸人伝』には、その編者で友人の三熊花顛の像を描いている。
松本奉時(不明-1800)まつもと・ほうじ
大阪の人。表具師を生業とした。名は周介、字は以建。奉時道人と号した。別号に頑古斎、玉蟾楼がある。与謝蕪村、福原五岳に学んだと伝わっている。主に蛙を描いた。寛政12年死去した。
大阪(50)-画人伝・INDEX
文献:近世大阪画壇、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇