画人伝・大阪 南画・文人画家 中国故事

五岳の門に学び蘭の栽培にも情熱を燃やした岡熊嶽

岡熊嶽「伏見桃畑図」

岡熊嶽「伏見桃畑図」

岡熊嶽(1762-1833)は、福原五岳の門に学び、のちに諸流派の画法を研究した。山水人物を得意とし、作風は師風をしのばせるが、掲載の「伏見桃畑図」をはじめ同門の林閬苑の作品を臨摸したものに秀作があり、その私淑ぶりがうかがえる。

また、林閬苑や上田耕夫ら舶来の唐物鉢植え蘭を愛でた大坂画人の影響からか、蘭の栽培にも情熱を燃やしており、交流のあった田能村竹田はその著書『竹田荘師友画録』に「冬日、その居を訪問した折、幽香漂うのを不審に思ったところ、30年来蘭の栽培を手掛けており、近年そのこつを身につけたと語った」と記している。

また、木村蒹葭堂とも交流があり、その13回忌書画展には「春林書屋図」を出品している。さらに文政5年の阿部良山追薦書画展では補助をつとめている。

岡熊嶽(1762-1833)おか・ゆうがく
宝暦12年生まれ。大坂の人。諱は晋、嬰、文暉。字は子嵩、少年、世昌。通称は勝之助。号は熊嶽、餘香堂。福原五岳に学び、のち諸流派を研究し山水人物をよくした。田能村竹田や木村蒹葭堂とも交流した。蘭の花の栽培に情熱を燃やした。天保4年、72歳で死去した。

岡琴嶽(1792-1830)おか・きんがく
寛政4年生まれ。大坂の人。岡熊嶽の子。名は敬、俗称は小三郎。号は琴嶽。唐絵師として名を馳せたが父より先に没した。天保元年、38歳で死去した。

大阪(28)-画人伝・INDEX

文献:絵草紙に見る近世大坂の画家、近世大阪画壇、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、近世の大坂画壇、近世の大阪画人、大坂画壇の絵画




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