佚山(1702-1778)は、俗名を森脩来といい、出家して天王寺東門の黄檗宗見友寺に住み、佚山と名乗った。篆刻を得意とし、大坂で篆刻・隷書で名を成した新興蒙所の流れを汲み、趙崔光の説文長箋を研究した。
一方で長崎に遊学して沈南蘋流の画法を学んだとされ、墨竹、山水人物を得意とした。沈南蘋風の花鳥画も残っており、黄檗僧・鶴亭と並び、最も早い時期に京・大坂に沈南蘋の色彩、水墨の花鳥画の風を伝えた画人とされている。
佚山(1702-1778)いつざん
元禄15年生まれ。大坂の人。字は黙隠、俗名は森脩来、出家して佚山と称した。号は常足道人、調古庵など。大坂で篆刻・隷書で名を成した新興蒙所の流れを汲む。寛延元年長崎に遊学し沈南蘋流の画法を学んだと思われる。宝暦4年に大坂に帰って天王寺東門の黄檗宗見友寺に入り、その後京都西林庵に住んだ。安永7年、77歳で死去した。
大阪(19)-画人伝・INDEX
文献:近世大阪画壇、サロン!雅と俗:京の大家と知られざる大坂画壇、大阪名家著述目録、大坂画壇の絵画