画人伝・奈良 洋画家 動物画

生涯軍鶏を描き続け軍鶏の画家と呼ばれた山下繁雄

山下繁雄「我が村と軍鶏」奈良県立美術館蔵

山下繁雄「我が村と軍鶏」奈良県立美術館蔵

山下繁雄(1883-1958)は、東京京橋の元禄期頃から大名の駕籠づくりを家業としていた旧家に生まれた。幼いころから画を好み、少年時代には小山正太郎の不同舎で学び、18歳で太平洋画会研究所に入り、明治41年の第2回文展で初入選を果たした。

その後、京都、大阪に移り住み、大正6年からは奈良に住んだ。大阪在住時から軍鶏を描き始め、昭和7、8年の帝展で軍鶏を描いた作品で連続して特選を得た。

自らを「平城画工」と称して平明な絵を志し、生涯軍鶏を描き続けて軍鶏の画家といわれた。また、大阪美術研究会、奈良美術家連盟、奈良県美術協会の創立に参加するなど、奈良を中心とする関西の美術振興にも尽力した。

掲載の「我が村と軍鶏」は、奈良市郊外の白毫寺近郊の農家の納屋を描いた作品で、昭和15年の紀元2600年奉祝展覧会に出品された。

山下繁雄(1883-1958)やました・しげお
明治16年東京市京橋区生まれ。小山正太郎の不同舎、太平洋画会の研究所で学んだ。明治40年東京勧業博覧会で褒状。明治41年第2回文展で初入選。大正3年大阪に移住。大正4年文展で「軍鶏」が入選、以後軍鶏を描き続けた。大正6年奈良に移住。大正15年帝展出品の「雄鶏の図」が久邇宮家御用品。昭和7年、8年帝展で連続特選。東大寺二月堂に絵馬「軍鶏之図」を奉納した。晩年は日展に軍鶏の作品を出品した。昭和26年奈良県文化功労者表彰。昭和33年、74歳で死去した。

奈良(10)-画人伝・INDEX

文献:美の新風 奈良と洋画、大和風物誌、近代奈良の美術、近代奈良の洋画、描かれえた大和




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