塩竃の旅籠屋に生まれた小池曲江は、はじめ独学に近いかたちで絵の道に入り、20代前半に江戸に出て、長崎出身の南蘋派の画家・松林瑤江に師事した。師の晩年まで江戸で修学を続け、師の没後は郷里に戻り、さらに南蘋画の習得につとめた。
40代になった頃から画技を認められ、弟子を抱え、仙台画壇でも確固たる位置を得たようである。この頃から屏風などの大作を含め作品が増加してくる。また、生涯旅に暮らした曲江は、50代に入った頃に全国遊歴を開始し、北は松前・江刺から西は長崎・鹿児島に至り、旅は足かけ6年に及んだ。
その後も曲江は旅に出て各地で文人と交流を重ねる一方、地元の塩竃神社の別当、法蓮寺や菩提寺の雲上寺に作品を残すなど、郷里に関わる作品も多く残している。90歳の長寿を全うした曲江には吉祥の題材の依頼も多かったようで、おめでたい作品も多い。
小池曲江(1758-1847)こいけ・きょくこう
宝暦8年塩竃生まれ。旅籠屋を営む太田屋三代目小池恒利の長男。名は維則、字は子翼、通称は周蔵。画屋を甘眠堂と称した。画を南蘋派の松林瑤江に学んだ。弘化4年、90歳で死去した。
小池仙李(1770-1857)こいけ・せんり
明和7年福島県会津生まれ。小池曲江の三人目の妻。女流俳人。真華亭と号した。挿花、弾琴を得意とし、画も巧みだった。安政4年、88歳で死去した。
千葉華岳(1780-1839)ちば・かがく
安永9年生まれ。小池曲江の長男。名は肇民、字は元祀、通称は貞五郎。山本北山、中岡豊州に学び、書家として名声を得た。出羽酒田で塾を開いた。天保10年、仙台に帰り養賢堂教授となった。天保10年、59歳で死去した。
小池梅浦(1784-1850)こいけ・ばいほ
天明4年塩釜生まれ。小池曲江の二男。名は成徳、通称は貞三郎。父の画業を継ぎ、仙台領宮床の伊達家に出入りするなどした。嘉永3年、67歳で死去した。
小池雪江(不明-不明)こいけ・せっこう
宮床邑鶴巣の人。本姓は石垣。小池曲江の門人。曲江が宮床を離れるにあたり養子となり宮床に小池家を残した。
宮城(9)-画人伝・INDEX
文献:仙台四大画家、小池曲江の絵画、仙台画人伝、仙台市史通史編4(近世2)、仙台市史特別編3(美術工芸)、東北歴史博物館美術工芸資料図録、 仙台市博物館館蔵名品図録、福島美術館優品図録