画人伝・京都 琳派

幼年期に京都で尾形光琳に直接学んだ深江芦舟

深江芦舟「蔦の細道図屏風」重文 東京国立博物館蔵

深江芦舟「蔦の細道図屏風」重文 東京国立博物館蔵

深江芦舟(1699-1757)は、京都の銀座年寄筆頭役の家に生まれ、豊かな幼年期を過ごした。父の庄左衛門は、学識豊かな趣味人で、尾形光琳の有力な支援者だった中村内蔵助と親しく、その関係で芦舟は光琳に学んだと思われる。

正徳4年、芦舟が16歳の時に父が勘定奉行・荻原重秀罷免の一件に連座して伊豆の三宅島に流され、芦舟も追放された。この時に母は自害し、父は失意のまま5年後に三宅島で病没した。その後の芦舟自身の生涯についての記録は残っていない。

「芦舟」印のある作品については、文化12年に酒井抱一が光琳百回忌を記念して出版した『尾形流略印譜』にも認められ、古くから知られていたが、作者については長く不明だった。昭和34年、京都・黒谷金戒光明寺に深江家の墳墓と過去帳が発見され、姓名、出自、生没年などが分かり、掲載の「蔦の細道図屏風」は、その翌年重文指定を受けた。

深江芦舟(1699-1757)ふかえ・ろしゅう
元禄12年京都生まれ。銀座年寄筆頭・深江庄左衛門の長男。名は庄六。別号に有芦子がある。豊かな幼年時代を送ったが、正徳4年父が銀座事件に連座して三宅島に遠島となり、芦舟は追放となった。幼年期に尾形光琳に直接学んだとされるが、確認されている作品からは宗達派からの影響が強くみえる。宝暦7年、59歳で死去した。

京都(83)-画人伝・INDEX

文献:近世やまと絵50選、日本美術全集13、原色日本の美術27在外美術(絵画)、江戸絵画入門、日本の美「琳派」展一九九六




-画人伝・京都, 琳派