
狩野秀頼「高雄観楓図屏風」国宝 東京国立博物館蔵
狩野秀頼(不明-不明)は、狩野元信の二男で、若くして東寺の仏画制作を家業としていた本郷家に養子に入った。10数年ほど東寺で大絵師職をつとめていたが、突如として本郷家から狩野家に戻っており、狩野宗家を継ぐはずの兄・宗信が急逝したことがその理由と思われる。
結局、狩野宗家は弟の松栄が継いだが、秀頼は、松栄の子・永徳が本格的な活動を開始するまで松栄を助け狩野派を支えたと思われ、作期の判明する秀頼画に永禄期のものが多く残っているのがその状況を裏付けるものとされる。
掲載の「高雄観楓図屏風」は、洛北・高雄での紅葉狩りを楽しむ2組の集団を描いたものだが、それまでの名所絵や四季絵とは異なる風俗画で、桃山期に流行する近世初期風俗画の先駆例として高く評価されている。
近年の研究では、ある特定の事実に基づき構成された、現実の人物や景観ではないかとの説(鈴木廣之「狩野秀頼高雄観楓図屏風-記憶のかたち」)も示され、さらにそれを受ける形で、図中に登場する人物の比定(渡邊雄二「高雄観楓図の一解釈」)なども試みられている。
狩野秀頼(不明-不明)かのう・ひでより
狩野元信の二男。名ははじめ信正、のちに紹、乗信、常真、承信など。通称は次郎、治部少輔に任ぜられのち法橋に叙せられた。画は父元信に学び、山水人物をよくした。
京都(51)-画人伝・INDEX
文献:日本絵画名作101選、日本の美術17桃山の風俗画、近世やまと絵50選、狩野派決定版、室町時代の狩野派、日本美術全集10、日本画家人名事典







