洋画家

異色の抽象画家・荒井龍男と昭和期の大分県の洋画家

2024/4/10  

荒井龍男「過失に於ける歓喜への頌歌」目黒区美術館蔵 昭和に入ると、それまで官展中心だった大分県出身の洋画家のなかでも、在野団体で個性的な作品を発表し、名をなす者が出てきた。荒井龍男(1904-1955 ...

片多徳郎と西ヶ原グループ

2021/7/6  

片多徳郎「秋果図」 明治40年に開設された文展に大分県出身の洋画家として初めて入選したのは豊後高田市出身の片多徳郎(1889-1934)だった。片多は、東京美術学校在学中の明治42年、第3回文展に「夜 ...

吉田四代の祖・吉田嘉三郎と不同舎で学んだ大分出身の洋画家

2021/7/6  

吉田嘉三郎「海魚図」大分県立美術館蔵 中津市出身の吉田嘉三郎(1861-1894)は、彰技堂で洋画を学び、日本初の洋画美術団体・明治美術会の通常会員となるなど、活躍が期待されたが、33歳で没した。しか ...

東京の画塾で学んだ大分の初期洋画家

2021/7/6  

諫山麗吉「沈堕之瀧」大分県立美術館蔵 沈堕の滝は、雪舟も描いている豊後大野市にある名瀑で、諫山は大分県令(知事)・香川真一の依頼によりこの滝を描き、明治10年の県勧業博覧会に出品しているが、現在は残っ ...

戦死した熊本初のシュルレアリスト・大塚耕二

2021/7/6  

大塚耕二「トリリート」 フィリピンで戦死した大塚耕二(1914-1945)の制作活動は10年にも充たないものだったが、大塚はその間、日本に入ってくる西欧の新しい芸術思想を次々と吸収し、初期の具象から抽 ...

日本の画壇に新風をふきこんだ野田英夫

2021/7/6  

野田英夫「学園生活」(ピードモント・ハイスクール壁画 部分) 日系移民の子として米国に生まれた野田英夫(1908-1939)は、30歳で早世し、わずか10年たらずの画業だったが、日本の画壇に初めて登場 ...

海老原喜之助と熊本の独立美術

2021/7/6  

海老原喜之助「殉教者」 熊本における独立美術協会の系譜は、戦災を避けて熊本に疎開し、以後15年間熊本に滞在した海老原喜之助を中心に展開していく。海老原は戦後を代表する作品のほとんどを熊本時代に描いてお ...

官展系の熊本の洋画家

2021/7/25  

山田隆憲「祭日の村娘」 黒田清輝に師事した山田隆憲(1893-1953)は、外光派のスタイルをよく受け継ぎ、大正7年文展に初入選、昭和10年には帝展無鑑査となった。京都画壇から画業を始めた間部時雄(1 ...

熊本近代洋画の発展に寄与した青木彜蔵と伊藤直臣

2021/7/6  

青木彜蔵「孔子画像」熊本県立済々黌高等学校蔵 熊本洋画は黎明期を経て、次第に近代化への道を進んでいくが、その啓蒙的な役割を担ったのが、美術学校で学んだのち郷里に戻ってきた洋画家たちだった。彼らの働きに ...

野口彌太郎と長崎ゆかりの洋画家

2021/7/11  

野口彌太郎「タンジール」 野口彌太郎(1899-1976)は、諫早市出身の銀行家・野口彌三の長男として東京に生まれ、父の仕事の関係で各地を転々としたが、父の田園生活を送らせたいとの思いから、明治44年 ...

佐伯祐三と行動を共にしフランスで客死した横手貞美

2021/7/11  

横手貞美「フランス革命記念の集い」 昭和2年、横手貞美(1899-1931)は、東京美術学校を卒業したばかりの荻須高徳(1901-1986)、山口長男(1902-1983)とともに、横浜港からパリへ向 ...

外光派の風景画家・山本森之助と早世した人気画家・渡辺与平

2021/7/11  

山本森之助「雨後」(絶筆) 明治10年、山本森之助(1877-1928)は長崎市新橋町の料亭一力の長男として生まれた。明治27年に画家を志して大阪の山内愚仙に入門、翌年には上京して浅井忠の明治美術学校 ...

佐賀美術協会の創立と佐賀出身の画家たち

2021/7/12  

高木背水「練馬風景」 大正2年、東京上野の茶屋に久米桂一郎、岡田三郎助ら佐賀県出身の画家が集まった。メンバーは久米、岡田のほかに、田雑五郎、山口亮一、御厨純一、北島浅一、さらに藤田遜ら東京美術学校の在 ...

北島浅一ら東京美術学校に学んだ佐賀の洋画家

2021/7/12  

北島浅一「パリの踊り子」 明治20年に東京美術学校が創設され、29年に西洋画科が新設されると、佐賀県の若者たちも上京して洋画を学ぶようになった。明治期に東京美術学校西洋画科に学んだ佐賀県出身の者として ...

明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎と岡田三郎助

2025/2/13  

久米桂一郎「残曛下絵」 黒田清輝とともに日本洋画に外光派の画風を取り入れ、洋画団体白馬会を結成するなど、明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎(1866-1934)は、佐賀城下に生まれ、8歳の時に ...

百武兼行によってはじまる佐賀洋画

2024/12/14  

百武兼行「マンドリンを持つ少女」 佐賀藩最後の藩主となった鍋島直大は、維新後は新政府の要職につくほか、明治4年には政府派遣の欧米視察団としてアメリカに渡り、その後はイギリスに留学した。その時に直大に随 ...




© 2025 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5

Amazon プライム対象