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田中頼璋と島根出身で川端玉章に学んだ日本画家
2025/3/27
田中頼璋「立久恵之晩春」(部分) 明治期になると、東京に出て学ぶ島根県出身の日本画家も多く出てくる。田中頼璋(1868-1940)は、はじめ萩に出て森寛斎に学んだが、のちに上京して川端玉章に師事した。 ...
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近・現代の中央画壇に大きな影響を与えた広島出身の日本画家
2025/3/27
児玉希望「暮春」広島県立美術館蔵 大正・昭和期になると中央画壇で独自の活動をする広島出身の日本画家が出てくる。高田郡生まれの児玉希望(1898-1971)は、写実に基礎をおきつつ、古画や洋画の手法も取 ...
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東京に出て学んだ岡山の日本画家
2025/4/3
大林千萬樹「胡笳の声」 岡山の日本画家は京都で学ぶものが多かったが、伝統的絵画の革新が急速に行なわれた東京に出て学ぶものもいた。富岡永洗、鏑木清方に師事して江戸期の歴史風俗に取材した美人画を多く描いた ...
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京都で学んだ岡山の日本画家
2021/7/9
木村丈夫「流木」 小野竹喬(1889-1979)、池田遙邨(1895-1988)に代表される岡山の京都派だが、ほかにも石井金陵に南画を学び、のちに京都に出て山元春挙に師事した高橋秋華(1878-195 ...
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小野竹喬、池田遙邨ら、栖鳳門下の岡山の日本画家たち
2021/7/25
小野竹喬「宿雪」 四条派は岡山出身の岡本豊彦の画系を中核に発展した。豊彦の門人である塩川文麟、さらにその門人の幸野楳嶺と続き、楳嶺のあとを受け、明治30年代以降の京都の指導者として君臨したのは楳嶺門下 ...
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日本画革新運動の中での愛媛出身の日本画家
2021/7/9
高橋周桑「文楽吉田栄三」 明治も20年代になると、岡倉天心、フェノロサらの提唱により東京美術学校が開設され、日本美術院が創立されるなど、「新日本画」を標榜する革新運動が活発になっていった。京都における ...
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円山四条派の流れを汲む伊予の画人
2021/7/9
左:松本仙挙「鬼ケ城山之図」、右:河崎蘭香「東台の春」 森田樵眠によって伝えられた円山四条派の流れは、伊予の地に広まっていった。東宇和郡野村町に生まれた松本仙挙(1880-1932)は、京都市立美術工 ...
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描かれた坂本龍馬、膨大な数の龍馬像を残した公文菊僊
2021/7/9
左:公文菊僊「坂本龍馬像」、右:吉永梅里「坂本龍馬像」 坂本龍馬のブームはたびたび起こっているが、最初の大きなブームは、自由民権運動期の明治16年、坂崎紫瀾が坂本龍馬を主人公にした小説「汗血千里駒」を ...
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土佐美術協会、土陽美術会の発足
2024/12/21
左:山岡米華「秋渓覓句図」高知県立美術館蔵右:乾南陽「源氏物語」土佐山内家宝物資料館蔵 西欧絵画が広まるなか、明治初期の高知の日本画は、徳弘董斎、河田小龍、種田豊水、名草逸峰らがそれぞれ後進の指導にあ ...
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紀伊の近代・日高昌克ら個性的な画家を輩出
2025/3/26
日高昌克「草」 徳川御三家として栄えた紀伊の地では、紀伊狩野を中心とした御用絵師の系譜が長く続いたが、従来の絵画に飽きたらず新しい表現を探った儒者・祇園南海らを始祖とした南画家の登場や、様々な師系や独 ...
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画壇を代表する多くの日本画家を輩出
2025/3/6
川合玉堂「鵜飼」東京藝術大学蔵 岐阜の代表的日本画家としては、愛知に生まれ岐阜に移り住んだ川合玉堂(1873-1957)をはじめ、恵那の前田青邨(1885-1977)、岐阜の川崎小虎(1886-197 ...
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虎図の大橋翠石と岐阜の動物画家
2022/8/16
虎図 大橋翠石 多くの画家たちが京都画壇を目指すなか、大垣の大橋翠石(1865-1945)は東京に出て渡辺小華に師事し南画を学び、その後、動物画を研究し、特に虎図では写実に徹した独自の画法を確立した。 ...
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京都画壇で学んだ飛騨の日本画家
2025/3/6
玉舎春輝「アイヌ村落図」 飛騨に生まれて京都画壇で修業した日本画家のうち、塩川文麟に師事した垣内右嶙・垣内雲嶙父子は、のちに金沢に移り金沢画壇で活躍した。山元春挙に師事した玉舎春輝は春挙・栖鳳門下を中 ...
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京都画壇で学んだ美濃の日本画家
2025/3/6
西尾楚江「徳音寺雪景」 明治中期、全盛を誇った南画が衰退しはじめ、岐阜で画を志すものの多くは京都画壇を目指すようになった。岐阜の若者たちは、京都で画塾に入ったり、内弟子になったりして画の道を歩きはじめ ...
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南画隆盛から異色の日本画家を生む土壌へ
2024/12/29
疋田芳沼 左:矮鶏図、右:山間旅人図 隆盛を極めた東三河の南画だが、明治中期をひとつのピークに、やがて衰退していく。閉塞した郷土画壇を去り、京都や東京の画壇に活路を見出そうとする次代の画家たちも出てき ...
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崋山・椿山の画風を継いだ最後のひと・白井烟嵓
2024/12/29
白井烟嵓「雨後」 従兄の白井永川から南画の手ほどきを受けた白井烟嵓は、その後上京して崋椿系南画の流れを汲む松林桂月に学び、戦前・戦後を通じて中央画壇で活躍した。平成14年には田原市博物館で「崋山・椿山 ...