-
-
写実と装飾性が一体となった新境地を確立した平福百穂
2025/3/27
平福百穂「獅子図」六曲一双屏風(右隻) 左隻 平福穂庵の子として角館に生まれた平福百穂(1877-1933)は、父に絵の手ほどきを受けていたが、13歳の時に父が死去、その4年後に上京して川端玉章に師事 ...
-
-
終生日本画の近代化に尽くした寺崎広業
2024/12/11
寺崎広業「美人読書図」 秋田に生まれた寺崎広業(1866-1919)は、はじめ郷里の狩野派・小室怡々斎に師事し、ついで角館出身で東京に出ていた四条派の平福穂庵の勧めで上京し穂庵に師事、穂庵の帰郷後も東 ...
-
-
現代的感覚の新しい日本画として高い評価を集めた太田聴雨
2024/12/11
太田聴雨「星を見る女性」東京国立近代美術館蔵 明治29年仙台市二日町に生まれた太田聴雨は、東京で印刷工として働いていた父を頼って14歳で上京、上野桜木町の四条派の日本画家・内藤晴州の内弟子となった。し ...
-
-
岩手初の美術団体「彩友会」を創設した葛江月
2021/7/6
葛江月「写生室ノ概景」 盛岡に生まれた葛江月(1880-1918)は、地元の中学を中退して上京、翌年東京美術学校日本画科に入学した。卒業後は盛岡に戻り、中学の図画教師をつとめながら制作活動をおこない、 ...
-
-
新潟の豪商別邸で板戸絵が発見された旧派の実力者・佐藤紫煙
2021/7/6
佐藤紫煙「鷲図」 現在の岩手県一関市に生まれた佐藤紫煙(1873-1939)は、16歳で上京し、水沢出身の菅原竹侶、ついで滝和亭に師事した。日本美術協会、正派同志会、日本画会などで役員や審査員をつとめ ...
-
-
月嶺・月村と続く盛岡藩四条派の流れを継いだ藤島静村
2021/7/6
藤島静村と梅村の合作「双鯉図」(梅村は妹さきの雅号) 幕末に盛岡で生まれた藤島静村(1864-1935)は、明治はじめに北海道から帰郷していた川口月村に師事し、25歳の時には、内丸の協同商館(現在の盛 ...
-
-
菅原竹侶の門人・佐藤耕雲
2021/7/6
佐藤耕雲「韓信堪忍之図」 佐藤耕雲(1854-1920)は、菅原竹侶に師事し、入門2年余りにして水沢近郷宅の襖絵を描くほどに上達したという。しばらく水沢地方で絵事に従事し、その間、内国絵画共進会では褒 ...
-
-
優れた門弟を育成し水沢の絵事の基盤を築いた菅原竹侶
2021/7/6
菅原竹侶「花と魚群」 砂金文洲とともに水沢を代表する画人・菅原竹侶(1824-1893)は、優れた門弟を育成し、水沢地方の絵事が開花する基盤を築いた。8歳から学問を須田一睡に学び、文墨を砂金嘉門次郎に ...
-
-
常に津軽を意識して新しい日本画の創造を追求した工藤甲人
2021/7/6
工藤甲人「冬ともえ」弘前市立博物館蔵 岡倉天心らが提唱した国粋主義的思潮のもと、大きく発展した「日本画」だったが、第二次世界大戦後に、欧米から次々と芸術新思潮が移入されるようになり、旧来の日本画では世 ...
-
-
新しい美人画と評判になった工藤紫煌
2024/12/11
工藤紫煌「美粧」 昭和7年に結成された「丹墨社」には、工藤紫煌、福田秀鳳、中村旭洋、須藤聖馬、野沢如洋、須藤尚義、竹森節堂、高橋竹年、工藤仙来ら、当時の津軽地方の日本画家のほとんどが参加した。しかし、 ...
-
-
最良の師を求めて次々と師を変えた須藤尚義
2021/7/6
須藤尚義「鶴と牡丹」(左隻) 須藤尚義(1902-1956)は、明治35年田舎館村川部に生まれた。父は早くから尚義を画家にする考えがあり、尚義は小学校4年の時に東京の学校に転校した。東京での最初の師は ...
-
-
大正期の青森県人による在京美術団体の発展に寄与した竹森節堂
2021/7/6
竹森節堂「夢幻」 大正期に東京で結成された青森県出身者による在京美術団体は、郷土青森県に大きな影響を与えた。なかでも「六花会」は、もっとも注目された美術団体で、活動期間は短かったが、その後に続く北冥会 ...
-
-
八戸出身で川越を活動の拠点とした久保提多
2021/7/6
久保提多「聖尼格刺図(サンタクロース図)」川越市立美術館蔵 八戸市柏崎に生まれた久保提多(1885-1956)は、明治36年に東京美術学校に入学し、下村観山の教室で学んだ。卒業制作では、旧来の踏襲を避 ...
-
-
七尾英鳳と八戸の日本画家
2021/7/6
七尾英鳳「湖上月影」八戸市美術館蔵 南部八戸では、藩政時代以来の伝統を持つ日本画の研究会「野の花の会」が、石橋玉僊(1883-1945)を中心に活動を続けていたが、戦争のため中断していた。戦後いち早く ...
-
-
十和田湖に魅せられてその紹介に尽力した鳥谷幡山
2021/7/6
白籠巖頭之眺臨 鎧嶋虹影 七戸町に生まれた鳥谷幡山(1876-1966)は、函館にいた兄を頼って函館商業学校に入り、当時函館に来ていた寺崎広業と出会い、学校を中退して上京、広業に師事した。幡山が、愛し ...
-
-
画壇を離れ水墨画の原点を追求した野沢如洋
2021/7/6
野沢如洋「奔馬三頭之図屏風」(右隻)弘前市本迹院蔵 明治期の津軽地方で、最も優れた画家と評され、広く名を馳せたのは、馬を好んで描き「馬の如洋」とも称された野沢如洋(1865-1937)だった。弘前に生 ...