UAG美術家研究所

江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま北関東地方を探索中。

「風景画」 一覧

葛飾北斎が描いた「琉球八景」

15世紀初めに誕生した琉球王国は、中国との冊封関係の中で独自の文化を育んできたが、1609(慶長14)年にあった薩摩藩の琉球侵攻により幕藩体制に組み込まれることとなり、徳川将軍や琉球国王の代替わりのた ...

もうひとりの鹿児島洋画の先覚者・時任鵰熊

鹿児島洋画壇の祖・大牟礼南島の2年後に東京美術学校の西洋画科を卒業したのが、もうひとりの鹿児島洋画の先覚者と称される時任鵰熊(1874-1932)である。時任は、鹿児島で教師をしていたが辞職して上京、 ...

鹿児島洋画壇の祖と称される大牟礼南島

鹿児島出身の画家で、はじめて油彩画を描いたのが床次正精、はじめて正式に技術を学んだのが曽山幸彦、そしてはじめて本場西洋で学んだのが黒田清輝であり、ついで藤島武二、和田英作と日本近代洋画を代表する洋画家 ...

日本近代洋画の牽引者・藤島武二

明治31年、東京美術学校に西洋画科が新設され、黒田清輝(1866-1924)が初代教授に就任した際、黒田が助教授に推薦したのは、三重県の尋常中学で教師をしていた藤島武二(1867-1943)だった。藤 ...

宮崎の美術教育に尽力したボヘミアン・有田四郎

宮崎の美術教育に大きく貢献した人物に有田四郎(1885-1946)がいる。有田は東京に生まれ、幼時を熊本県で過ごした。東京美術学校では黒田清輝に師事し、和田英作とも親しく交流した。熱心なキリスト教信者 ...

東京の画塾で学んだ大分の初期洋画家

沈堕の滝は、雪舟も描いている豊後大野市にある名瀑で、諫山は大分県令(知事)・香川真一の依頼によりこの滝を描き、明治10年の県勧業博覧会に出品しているが、現在は残っていない。この作品は、その時の写生をも ...

福田平八郎の登場、そして高山辰雄へと続く大分出身の日本画家

大分県の近代日本画史の上に占める福田平八郎の存在は大きい。大分県では明治末期まで幅広い南画の展開がみられ、明治30年代における新日本画運動も弱々しいものだったが、平八郎の登場により、大分画壇はにわかに ...

福田平八郎の師から弟子になった首藤雨郊

近代日本画の大家・福田平八郎(1892-1974)の才能をいち早く見出し、絵画の道に導いたのは、当時小学校の教諭をしていた首藤雨郊(1883-1943)である。首藤は、大分県師範学校を卒業後、大分師範 ...

杉谷雪樵の路線を継承し熊本日本画の近代化を担った近藤樵仙

杉谷雪樵によって幕が開いた熊本における日本画近代化の流れは、門人である近藤樵仙によって引き継がれた。 熊本市に生まれた近藤樵仙(1865-1951)は、郷里で杉谷雪樵に師事し、その後雪樵とともに上京、 ...

肥後熊本藩最後の御用絵師・杉谷雪樵

幕末から明治における熊本画壇は、南画と復古大和絵系が二つの大きな流れを作っていたが、熊本藩の御用絵師をつとめていた矢野派の画家たちも画壇の一翼をになっていた。その矢野派本流のなかで、明治以降も活躍した ...

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