風景画

写生行脚を続け求道者のように山を描いた村嶋酉一

2022/10/14  

村嶋酉一「薬師」富山県蔵 村嶋酉一(1897-1973)は、富山市総曲輪丸の内に生まれ、富山中学校卒業後に尾竹越堂をたよって上京し、書生として寄宿しながら東京美術学校日本画科に入学、結城素明に師事した ...

中島秋圃宅に寄宿して薫陶を受けた濱谷白雨

2022/10/3  

濱谷白雨「烟雨」 富山県婦負郡四方町(現在の富山市)に生まれた濱谷白雨(1886-1965)は、富山県立工芸学校で中島秋圃に才能を認められ、秋圃宅に住み込み、工芸学校でも指導を受けた。同校卒業後は東京 ...

書家、篆刻家としても高く評価された谷聴泉

2022/9/12  

谷聴泉「庄川峡」 谷聴泉(1898-1939)は、富山県東砺波郡城端町(現在の南砺市)に生まれ、14歳の時に東京に出て石井林響に画を、中村不折に書を学んだ。書は、若いころから金沢の常福寺住職の北方心泉 ...

同郷の土田麦僊の後を追って京都に上った恩田耕作

2022/6/13  

恩田耕作「佐渡三態」両津市郷土博物館蔵 新潟県佐渡郡河崎村両尾(現在の両津市)に生まれた恩田耕作(1896-1974)は、高等小学校を卒業後、農業に従事するかたわら、明治の中頃に佐渡に流れてきた日本画 ...

写実に抽象的構成を統合させた画風を展開した三輪晁勢

2023/9/28  

三輪晁勢「泳影」京都国立近代美術館蔵 三輪晁勢(1901-1983)は、新潟県三島郡与板町(現在の長岡市)に生まれた。父三輪大次郎が小山正太郎の不同舎に学んだ洋画家だったことから、幼少期から画に親しん ...

フュウザン会の中心的人物として萬鉄五郎、岸田劉生らとともに活動した川上涼花

2022/5/20  

川上涼花「鉄路」東京国立近代美術館蔵 川上涼花(1887-1921)は、東京の麹町区商工中学校を卒業後、画家を志して太平洋画会研究所に学び、明治45年5月、同研究所の川村信雄ら新傾向の絵画に共鳴する同 ...

日本洋画の揺籃期に多くの洋画家を育てた小山正太郎

2022/5/11  

小山正太郎「濁醪療渇黄葉村店」ポーラ美術館蔵 越後の長岡藩医の家に生まれた小山正太郎(1857-1916)は、はじめ政治家を志して13歳で上京し、働きながら学んでいたが、幼いころから関心があった絵画へ ...

創作版画運動の普及と信州の版画家

2022/2/24  

山口進「五月の上高地」 山本鼎らが提唱した「自画・自刻・自摺」の創作版画運動は、大正に入って広く普及するようになる。その動きを受けて織田一磨が山本鼎に働きかけ、大正7年に「日本創作版画協会」が結成され ...

創作版画の草創期に生き21歳で没した香山小鳥

2022/2/21  

香山小鳥「深川の冬」(習作) 長野県下伊那郡松尾村(現在の飯田市松尾)に生まれた香山小鳥(1892-1913)は、飯田中学校(現在の飯田小学校)卒業後に上京、家族も後に上京し、そろって深川に住んだ。 ...

洋画研究所を開設し中信の洋画普及に貢献した宮坂勝

2022/2/4  

宮坂勝「スケート」 宮坂勝(1895-1953)は、南安曇野郡倭村(現在の松本市梓川)の酒造家の二男として生まれ、旧制松本中学校卒業後は、東京美術学校西洋画科に進学した。卒業後、大正12年に渡仏、アカ ...




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