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黒田重太郎らと二紀会を結成した鍋井克之
2025/5/2
鍋井克之「勝浦の夕映」 鍋井克之(1888-1969)は、大阪市に生まれ、松波長年に日本画を学び、松波没後は広瀬勝平に洋画を学んだ。大阪府立天王寺中学を卒業後上京し、白馬会洋画研究所を経て、明治42年 ...
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小出楢重らと信濃橋洋画研究所を創設した国枝金三
2025/4/30
国枝金三「大阪街景」兵庫県立美術館蔵 国枝金三(1886-1943)は、現在の大阪市に生まれ、大阪高等商業学校を中退後、山内愚僊、赤松麟作に洋画を学び、明治41年からは関西美術院で鹿子木孟郎に学んだ。 ...
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ワーグマンに洋画を学んだとされる渡辺豊洲
2025/4/25
渡辺豊洲「月光」京都国立近代美術館蔵 渡辺豊洲(1863-1915)は、幕末の大坂に生まれ、はじめ木下芦洲に日本画を学んだ。その後明治10年代半ばに上京し、ワーグマンに洋画を学んだと伝わっている。日本 ...
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外遊後官展の水彩画家として活躍した河合新蔵
2025/4/23
河合新蔵「風景」 河合新蔵(1867-1936)は、大坂の呉服商を営む家に生まれた。鈴木蕾斎、前田吉彦に洋画の手ほどきを受け、明治24年に上京して五姓田芳柳に師事し、ついで小山正太郎の不同舎で学んだ。 ...
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関西洋画の先駆者にして初代尼崎市長・櫻井忠剛
2025/4/21
櫻井忠剛「落ち葉をかく人」 櫻井忠剛(1867-1934)は、尼崎藩主松平家(維新後に櫻井と改姓)分家の松平忠顕の二男として生まれた。明治9年上京して勝海舟のもとに寄寓し、勝邸内で画塾を開いていた川村 ...
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関西美術会の創立に大阪側委員として参加した牧野克次
2025/4/18
牧野克次「夕陽」 牧野克次(1864-1942)は、幕末の大坂に生まれ、小学校の教員をしながら守住貫魚に日本画を、貫魚の子・勇魚に洋画を学んだ。その後、明治21年に上京して小山正太郎の画塾・不同舎で学 ...
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洋画教育を通して大阪洋画黎明期を形成した松原三五郎
2025/4/16
松原三五郎「河畔の月」 大阪における本格的な洋画の先駆者は山内愚僊、松原三五郎の二人といえるが、山内愚僊が朝日新聞社につとめ、積極的には絵画指導を行なわなかったと思われる反面、図画教師をつとめるかたわ ...
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大阪洋画壇の草分け的存在・山内愚僊
2025/4/14
山内愚僊「住吉神社」笠間日動美術館蔵 大阪洋画の草創期に活躍した画家としては、浮世絵の月岡芳年門下の鈴木蕾斎(不明-不明)が知られるが、本格的に大阪で洋画がはじまるのは、山内愚僊、松原三五郎が相次いで ...
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古き浪速の名勝地を描き人気を博した久保田桃水
2025/4/4
久保田桃水「大阪風景画帖」 久保田桃水(1841-1911)は、京都に生まれ、四条派の横山清暉に学び、清暉没後は19歳で大阪に移り西山芳園に師事した。明治20年に上京し皇居千種間の欄間や芝離宮洋館の天 ...
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大阪四条派の重鎮として後進を育成した深田直城
2025/3/26
深田直城「水辺芦雁・雪中舩泊」 深田直城(1861-1947)は、近江国の膳所藩士の家に生まれた。8歳の時に京都に出て絵画を習いはじめ、14歳で父の友人である加島菱洲に洋画を学び、翌年森川曽文に師事し ...
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多数の版本挿絵を手掛け肉筆画も残した松川半山
2024/12/18
松川半山『浪華の賑い』より 松川半山(1818or1822-1882)は、大坂立売堀の狂歌師・鬼拉亭力丸の子として生まれた。画は菅松峰に学び、のちに岡田玉山、丹羽桃渓に私淑した。主に版本挿絵を手掛け、 ...
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幕末大坂戯作界の第一人者で自ら挿絵も描いた暁鐘成
2024/12/16
暁鐘成「浪華天保山全図」(『天保山名所図会』上より) 暁鐘成(1793-1860)は、大坂西横堀で代々醤油醸造業を営む和泉屋に生まれた。『金毘羅参詣名所図会』や『西国三十三所名所図会』などの名所図会を ...
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なにわ風景版画の先駆的存在・竹原春朝斎
2024/12/13
竹原春朝斎『摂津名所図会』のうち「箕面山 一ノ鳥居 聖天宮」 近世大坂において風景版画が盛んになるのは嘉永・安政期からで、そのきっかけとなったは、諸名所を描きそれに説明文を加えるという「名所図会」の登 ...
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伊藤若冲、木村蒹葭堂の最初の師として知られ、京都・大坂の画家たちに大きな影響を与えた大岡春卜
2024/8/21
大岡春卜「浪花及び澱川沿岸名勝図巻」(部分) 橘守国と前後して出た大岡春卜(1680-1763)も、享保5年出版の『画本手鑑』をはじめ、多くの絵本類を手掛けるとともに、広域にわたって作品を残している。 ...
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奈良県美術協会の結成に参加した洋画家
2024/8/9
平田峻三「山麓の農家」 昭和16年、奈良洋画会、東台会、奈良美術家連盟の3団体が統合して奈良県美術協会が結成され、第1回展が開催された。これにより奈良の美術界がひとつにまとまった。協会には、日本画、洋 ...
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高田洋画会を興し後進の指導につとめた野沢寛
2024/8/7
野沢寛「飛鳥の雪」 野沢寛(1908-2001)は、奈良県大和高田市に生まれ、大阪美術学校で学んだ。在学中から槐樹社展、大阪市展などに出品し、卒業後は東光展に出品し受賞を重ねて会員となり、文展にも入選 ...