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阿波の四条派・浜口南涯と吉成葭亭
2022/8/20
浜口南涯(1801-1865)と吉成葭亭(1807-1869)は同じ四条派で、画の評判は拮抗していたが、医を業としながら和歌や茶道などもたしなむ南涯に対し、大酒飲みで奇人の葭亭は、お互いにそりが合わな ...
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阿波の円山・四条派
2025/4/14
藩の御用絵師は狩野派にしても住吉派にしても江戸の系統の画派だったが、町絵師の大部分は、南画家を除くと京都の四条派が多くを占めていた。森狙仙に学び、のちに円山応挙に師事した松浦春挙(1771-1847) ...
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阿波の岸派・岸八行と三木恒山
2025/4/14
阿波の岸派としては、岸八行(1794-1857)、三木恒山(1811-1891)が京都に出て岸駒に学び、師にならい虎の画を得意とした。二人とも阿波に戻り、郷里で門人を育てている。八行の門からは浄徳寺の ...
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阿波の住吉派の第一人者・守住貫魚と門人
2022/8/20
守住貫魚(1809-1892)は、同郷の渡辺広輝に学んだのち、住吉広定に師事、住吉派の御用絵師として阿波蜂須賀家に仕えた。また、江戸時代に火がついた歴史ブームのひとつである「好古」に精通し、古物の模写 ...
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阿波の住吉派・渡辺広輝と門下三傑
2022/8/20
大名の御用絵師といえば狩野派が圧倒的に多かったが、阿波の蜂須賀家では南画家の鈴木芙蓉を登用したり、江戸後期になると好んで住吉派を召し抱えたりした。住吉派は、室町時代に宮廷に仕えたやまと絵の流派・土佐派 ...
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夏は完全な裸で過ごした・藤桃洲
2022/8/20
麻植郡学島二ツ森に住んでいた藤桃洲(1781-1837)は奇人として知られ、数々の愛すべき逸話を残している。桃洲の師である藤桃斎(1752-1820)は、江戸に遊学して画名をあげ、諸国を遊歴したのち京 ...
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柴秋邨と周辺の南画家
2025/4/14
阿波生まれの儒者・柴秋邨(1830-1871)は、幼くして父を失い、貧乏から身をおこして儒者になった。書も画も達人だったが、大酒飲みで酔余の作が多い。門弟が多くて交友も広く、河野鐵兜、藤井藍田らとも親 ...
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阿波の儒者・赤松藍州と藤井藍田
2025/4/14
阿波の儒者・赤松藍州(1787-1858)は京都で頼山陽の父・春水に儒学を、画を中井藍江に学び、阿波に戻って多くの門人を育てた。また、尊攘派の儒者・藤井藍田(1816-1865)は、書を八木巽所に、漢 ...
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中林竹洞の門人・藤重春山
2022/8/20
中林竹洞に学んだ阿波ゆかりの画人としては、京都在住の藩士の家に生まれた藤重春山(1828-1895)がいる。春山は阿波の蜂須賀家に出入りしていた御用町人で、笛の名手として宮中の儀式に招かれたこともあっ ...
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山本梅逸門下の阿波の画人
2022/8/20
尾張南画の全盛期を牽引した中林竹洞(1776-1853)と山本梅逸(1783-1856)は、ともに京都に出て、阿波の貫名海屋をはじめ多彩な文化人たちと交遊し、多くの門人を育てた。山本梅逸門下の阿波ゆか ...
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幕末の三筆・貫名海屋
2022/8/20
市河米庵・巻菱湖とともに幕末の三筆にかぞえられる貫名海屋(菘翁)は、阿波徳島藩の旧家で藤原鎌足以来の系譜を持つ小笠原流の礼方家であった吉井家の二代目当主・直好と藩御用絵師・矢野常博の娘との間に二男とし ...
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村瀬栲亭と阿波ゆかりの南画家
2025/4/14
藩の御用絵師となった南画家は、鈴木芙蓉・鳴門の鈴木家のみだったが、同時代に活躍した阿波ゆかりの南画家としては、京都で学び秋田藩に招かれて儒官となった村瀬栲亭(1744-1819)らがいる。栲亭は晩年に ...
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最古の阿波おどり図を描いた御用絵師・鈴木芙蓉
2022/8/20
藩の絵師は通常幕府にならって狩野派か住吉派から召し抱えられていたが、11代藩主蜂須賀治和は、儒者であり南画家の鈴木芙蓉とその養子・鳴門を徳島藩御用絵師とした。南画は民間において非常に流行していたが、徳 ...
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徳島藩船絵師・森崎家と資料
2022/8/20
森崎家は、徳島藩蜂須賀家に仕えた狩野派の絵師だったが、森崎桃春・春潮父子の時に、蜂須賀斉昌の意向で住吉派に転向した。その森崎家が伝えてきた粉本類が、徳島県立博物館に「森崎家資料」として収蔵されており、 ...
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木挽町狩野家と徳島藩の画人
2022/8/20
徳島藩御用絵師では、佐々木家の佐々木養郭をはじめ、矢野栄教、河野栄寿らは、幕府御用絵師の狩野派のうち最も繁栄したとされる木挽町狩野家の当主・狩野栄川院典信に学んだ。またその後も、記録でわかる限りすべて ...
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徳島藩御用絵師の系譜・佐々木家
2025/4/14
江戸時代になると世情も落ち着き、町絵師も多く出たが、徳島藩・蜂須賀家は将軍家にならい狩野派の画人を御用絵師とした。御用絵師の家系で最も古いのは佐々木家で、元禄頃に始まったとみられる。佐々木家については ...