yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

伊勢の狩野派・長崎派・岸派

2022/8/18  

伊勢地方の狩野派の画人としては、小川(河)地竹園(1808-1872)が知られている。竹園は内宮の神主を務めていたが、江戸に出て狩野洞益に師事し、伊勢に狩野派の画風を伝えた。また、女性画家の小林珮芳( ...

伊勢の南画

2022/8/18  

伊勢地方の南画家としては、尾張の山本梅逸に師事した笠松梅西(1798-1871)、藤本鉄石と交遊し竹中文輔の門に学んだ奥山金陵(1807-1866)、谷口藹山に師事した橋村並子(1816-1884)と ...

伊賀の画人

2025/3/6  

伊賀出身の文人としては、全国的に名高い俳人の松尾芭蕉(1644-1694)、江戸中期の俳人・菊岡沾凉(1680-1747)、江戸後期の歌人・田山敬儀(1766-1814)らがいて余技に画をたしなんだが ...

松阪の画人

2022/8/18  

祇園井特「本居宣長像」 松阪の文人としては、全国的に名高い国学者の本居宣長(1730-1801)がいる。宣長の門人は伊勢地方にも多くいるが、その中に目立った画業を残したものは見当たらない。他には、北海 ...

拙堂門下と津の画人たち

2025/3/6  

川北梅山、中内樸堂と並び、斎藤拙堂門下三傑のひとりに数えられる土井聱牙もまた書画をたしなみ、墨竹を多く残した。また、聱牙の三男・宮橋慥軒、娘婿の須山素朴、拙堂に師事した櫻木春山、拙堂の子・斎藤誠軒らも ...

斎藤拙堂の門人・宮崎青谷とその周辺の画人

2022/8/18  

津藩士として藤堂家に仕えた斎藤拙堂(1797-1865)は、漢学者として名高く、多くの儒学者や文人と交流し、土井聱牙、川北梅山、中内樸堂をはじめ多くの門人を育てた。その中には宮崎青谷のように画人として ...

伊勢津藩主・藤堂家と津藩士の画業

2022/8/16  

「藤堂高虎像」 伊勢津藩の藩主を代々つとめた藤堂家は文雅を好み、2代・高次、3代・高久、10代・高兌、11代・高猷、そして最後の藩主となった12代・高潔らは『三重県の画人伝』に掲載され、その画業が伝え ...

増山雪斎と桑名の画人

2025/3/6  

増山雪斎 左:黄葵に翡翠図、右:牡丹に孔雀図 桑名の画人としては、沈南蘋風の花鳥や水墨を描き、文人大名と呼ばれた伊勢長島藩主・増山雪斎(1754-1819)が知られている。雪斎は文雅を好み、十時梅厓( ...

伊勢の浮世絵師

2022/8/16  

葛飾北斎「東海道五十三次 坂下」 伊勢で浮世絵を描いた画人としては、月僊の高弟とされる西岡邦教に画を学び、月僊風の画を描いていた喜多村邦穀(1793-1853)が、のちになって浮世絵を試みた。『三重県 ...

尾張の画僧・月僊と伊勢の門人

2025/3/6  

月僊「東方朔図」 月僊(1741-1809)は、尾張国名古屋の商家に生まれ、7歳で得度し、10代で江戸の芝増上寺に入寺した。修行のかたわら桜井雪館に師事し、雪館の高弟の一人として目された。その後、江戸 ...

池大雅と韓天寿

2022/8/16  

池大雅「山水図」 曾我蕭白とともに伊勢地方を訪れた代表画家に、池大雅(1723-1776)がいる。大雅は特に松阪に多くの作品を残していて、これは京都に生まれ松阪に移り住んだ韓天寿の存在を抜きには語れな ...

曾我蕭白と伊勢の門人

2025/3/6  

曾我蕭白「鷲図屏風」 現在の三重県は、かつて伊勢国、伊賀国、志摩国と紀伊国の一部からなっており、江戸時代には上方と江戸を結ぶ交通の要所として栄えた。伊勢商人の活動にともなう経済発展や伊勢参宮の流行など ...

画壇を代表する多くの日本画家を輩出

2025/3/6  

川合玉堂「鵜飼」東京藝術大学蔵 岐阜の代表的日本画家としては、愛知に生まれ岐阜に移り住んだ川合玉堂(1873-1957)をはじめ、恵那の前田青邨(1885-1977)、岐阜の川崎小虎(1886-197 ...

虎図の大橋翠石と岐阜の動物画家

2022/8/16  

虎図 大橋翠石 多くの画家たちが京都画壇を目指すなか、大垣の大橋翠石(1865-1945)は東京に出て渡辺小華に師事し南画を学び、その後、動物画を研究し、特に虎図では写実に徹した独自の画法を確立した。 ...

京都画壇で学んだ飛騨の日本画家

2025/3/6  

玉舎春輝「アイヌ村落図」 飛騨に生まれて京都画壇で修業した日本画家のうち、塩川文麟に師事した垣内右嶙・垣内雲嶙父子は、のちに金沢に移り金沢画壇で活躍した。山元春挙に師事した玉舎春輝は春挙・栖鳳門下を中 ...

京都画壇で学んだ美濃の日本画家

2025/3/6  

西尾楚江「徳音寺雪景」 明治中期、全盛を誇った南画が衰退しはじめ、岐阜で画を志すものの多くは京都画壇を目指すようになった。岐阜の若者たちは、京都で画塾に入ったり、内弟子になったりして画の道を歩きはじめ ...

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