yuagariart

江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

日本南画の祖・祇園南海

2022/8/19  

祇園南海「五老峰図」 紀伊の儒者・祇園南海(1676-1751)は、「詩画一致」の思想を打ち立て、高度な教養に裏打ちされた、画、書、詩が渾然一体となった作品を創出し、彭城百川(1697-1752)、柳 ...

狩野派から南画へ・笹川遊原と門人たち

2025/3/26  

左:笹川遊原「唐美人図」、右:笹川遊原「美人浄瑠璃遊び図」 狩野派の画人の中には、諸派の画風を取り入れながら画技を模索するものも出てきた。養父である二代笹川遊泉の後を継ぎ、紀伊藩の御絵師をつとめた笹川 ...

紀南田辺の狩野派・真砂幽泉

2022/8/19  

真砂幽泉 左:鷙鳥図、右:紅葉に尾長鶏図 紀南田辺で活躍した狩野派の画人としては、真砂幽泉がいる。近世の田辺では、医者や学者らが余技として画を描くものはいたが、師系のはっきりした画人としては幽泉のほか ...

紀伊の狩野派の画人たち

2022/8/23  

左:2代山本養和「鍾馗に鬼図」、右:2代山本養和「群鶴図」 紀伊藩に仕えた狩野派としては、岩井泉流のように江戸紀伊藩に仕えたものと、和歌山の紀伊藩に仕えたものがいた。江戸の木挽町狩野の流れを組む画人と ...

紀伊の狩野派・岩井泉流

2022/8/23  

岩井泉流「布袋図」 岩井泉流は、江戸で活躍した紀伊藩の狩野派の画家で、師系は定かではないが、江戸木挽町に関わりがあったとみられる。紀伊藩のお抱え絵師だったが、解雇され、大坂の堺での町絵師を経て、また紀 ...

狩野興以にはじまる紀伊狩野の系譜

2022/8/18  

狩野興以「花鳥図屏風」 紀伊国における狩野派の系譜は、狩野光信に師事した狩野興以(不明-1636)がはじまりとされる。興以は師である光信の没後、光信の弟・孝信の子である探幽、尚信、安信の三兄弟を教育し ...

現代まで続く円山・四条派の系譜

2025/3/6  

中村左洲「伊勢参宮図」 伊勢には南画をはじめ、狩野派、長崎派、岸派などいろいろな画法を学ぶものがいたが、主流となったのは円山・四条派だった。伊勢に初めて円山・四条派を広めた岡村鳳水の門からは上部茁斎、 ...

隠れたる画家 野村訥斎

2022/8/18  

野村訥斎「花鳥図」 度会郡に生まれた野村訥斎(1831-1864)は、地元の住職・慧剣に画を学んだ後、江戸に出て円山派の大西椿年に師事し、4年後に帰郷して地元で制作活動をした。その後、万延元年(186 ...

伊勢に円山・四条派を広めた岡村鳳水と門人たち

2022/8/18  

磯部百鱗 左:伊勢音頭図、右:曾我兄弟之図 岡村鳳水の主な門人である上部茁斎、榎倉杉斎、荘門為斎の門からも優れた画家たちを輩出した。とくに上部茁斎の門から出た林棕林(1814-1898)は、江戸に出て ...

伊勢の円山・四条派

2025/3/6  

岨温山「楊貴妃図」賛:本居大平 伊勢地方の円山・四条派の画人としては、松阪の曾和温山(1748-1797)が京都に出て四条派を学んでいる。また、歌人でもある垣本雪臣(1777-1839)は松村月渓に師 ...

伊勢の狩野派・長崎派・岸派

2022/8/18  

伊勢地方の狩野派の画人としては、小川(河)地竹園(1808-1872)が知られている。竹園は内宮の神主を務めていたが、江戸に出て狩野洞益に師事し、伊勢に狩野派の画風を伝えた。また、女性画家の小林珮芳( ...

伊勢の南画

2022/8/18  

伊勢地方の南画家としては、尾張の山本梅逸に師事した笠松梅西(1798-1871)、藤本鉄石と交遊し竹中文輔の門に学んだ奥山金陵(1807-1866)、谷口藹山に師事した橋村並子(1816-1884)と ...

伊賀の画人

2025/3/6  

伊賀出身の文人としては、全国的に名高い俳人の松尾芭蕉(1644-1694)、江戸中期の俳人・菊岡沾凉(1680-1747)、江戸後期の歌人・田山敬儀(1766-1814)らがいて余技に画をたしなんだが ...

松阪の画人

2022/8/18  

祇園井特「本居宣長像」 松阪の文人としては、全国的に名高い国学者の本居宣長(1730-1801)がいる。宣長の門人は伊勢地方にも多くいるが、その中に目立った画業を残したものは見当たらない。他には、北海 ...

拙堂門下と津の画人たち

2025/3/6  

川北梅山、中内樸堂と並び、斎藤拙堂門下三傑のひとりに数えられる土井聱牙もまた書画をたしなみ、墨竹を多く残した。また、聱牙の三男・宮橋慥軒、娘婿の須山素朴、拙堂に師事した櫻木春山、拙堂の子・斎藤誠軒らも ...

斎藤拙堂の門人・宮崎青谷とその周辺の画人

2022/8/18  

津藩士として藤堂家に仕えた斎藤拙堂(1797-1865)は、漢学者として名高く、多くの儒学者や文人と交流し、土井聱牙、川北梅山、中内樸堂をはじめ多くの門人を育てた。その中には宮崎青谷のように画人として ...

© 2025 UAG美術家研究所 Powered by AFFINGER5

Amazon プライム対象