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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2021/7/6
雲華「蘭竹図」頼山陽・篠崎小竹賛 出光美術館蔵 雲華上人(1773-1850)は、姓を末広(弘)といい、豊前国中津の正行寺第十六世住職をつとめた僧である。江戸後期の東本願寺教学の最高学職である講師をつ ...
2021/7/6
田能村竹田 左:歳寒三友双鶴図 右:稲川舟遊図 大分県立美術館蔵「歳寒三友双鶴図」は、頼山陽が賛を入れ、満徳寺法要のために豊後竹田に来ていた中津正行寺の雲華上人も追賛。さらに岡藩儒者・角田九華も賛し、 ...
2021/7/6
田中田信「秋景山水図」大分県立美術館蔵 江戸後期になると、粉本主義に陥った狩野派が精彩を欠くなか、文人たちの興味は、新たに中国大陸からもたらされた南画に移っていった。二豊(豊後と豊前)においても、田能 ...
2022/3/30
足立秋英「牡丹孔雀図屏風」大分県立美術館蔵 中津藩と同じく杵築藩でも狩野派の藩絵師の存在は確認できない。時代は下るが、杵築藩第九代藩主・松平親良(1810-1891)が狩野勝川に、藩絵師の足立秋英(1 ...
2021/7/6
左:片山九畹「一品當朝図」大分県立美術館蔵、右:大西圭斎「花鳥図」大分県立美術館蔵 豊前中津藩では、円山派の絵師・片山九畹が、天明5年に「御絵師御茶之間詰」に任命されている。九畹は別号に東籬があり、東 ...
2021/7/6
渡辺蓬島「松下弾琴図」 岡藩絵師・淵野真斎とともに備中の画人・淵上旭江に学んだ、渡辺家の初代・渡辺蓬島(1753-1835)は、藩に仕えることなく、終身町人絵師として活動した。子の拈華は父の後を継ぎ画 ...
2021/7/6
淵野真斎「太公望図」大分県立美術館蔵 竹田市域の大部分を支配した岡藩は、江戸後期から近代にかけて田能村竹田をはじめ多くの画人を輩出した。竹田の初期の師とされる淵野真斎(1760-1823)は藩絵師をつ ...
2021/7/6
安藤梅峯「富士図」大分県立美術館蔵 豊後三賢の一人にかぞえられる儒者・帆足万里(1778-1852)らを輩出した日出藩は文教の地として知られるが、その基礎は、第三代藩主・木下俊長(1648-1716) ...
2021/7/6
二代木崎隆川「白水瀧図 」大分県立美術館蔵 府内藩は現在の大分市・由布市の大部分と別府市の一部を支配していた藩で、府内の名はこの地におかれた豊後国府に由来する。鎌倉時代に入ると、大友氏が支配し、21代 ...
2021/7/6
初代木崎隆川「勿来関図」 二豊(豊後と豊前の一部)の近世絵画は、18世紀までの狩野派の時代と、19世紀に入ってからの南画の時代に分けられる。江戸幕府で御用絵師をつとめ、地方でも勢力を強めていた狩野派は ...
2021/7/6
大塚耕二「トリリート」 フィリピンで戦死した大塚耕二(1914-1945)の制作活動は10年にも充たないものだったが、大塚はその間、日本に入ってくる西欧の新しい芸術思想を次々と吸収し、初期の具象から抽 ...
2021/7/6
野田英夫「学園生活」(ピードモント・ハイスクール壁画 部分) 日系移民の子として米国に生まれた野田英夫(1908-1939)は、30歳で早世し、わずか10年たらずの画業だったが、日本の画壇に初めて登場 ...
2021/7/6
海老原喜之助「殉教者」 熊本における独立美術協会の系譜は、戦災を避けて熊本に疎開し、以後15年間熊本に滞在した海老原喜之助を中心に展開していく。海老原は戦後を代表する作品のほとんどを熊本時代に描いてお ...
2021/7/25
山田隆憲「祭日の村娘」 黒田清輝に師事した山田隆憲(1893-1953)は、外光派のスタイルをよく受け継ぎ、大正7年文展に初入選、昭和10年には帝展無鑑査となった。京都画壇から画業を始めた間部時雄(1 ...
2021/7/6
青木彜蔵「孔子画像」熊本県立済々黌高等学校蔵 熊本洋画は黎明期を経て、次第に近代化への道を進んでいくが、その啓蒙的な役割を担ったのが、美術学校で学んだのち郷里に戻ってきた洋画家たちだった。彼らの働きに ...
2021/7/6
光永眠雷「西郷隆盛肖像」 熊本洋画の黎明期をになった画家としては、明治12年に上京し、イタリア人画家・キヨッソーネのもとで油絵を学んだ光永眠雷(1867-1928)が挙げられる。眠雷は東京で油絵を学ん ...
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