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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/4/25
渡辺豊洲(1863-1915)は、幕末の大坂に生まれ、はじめ木下芦洲に日本画を学んだ。その後明治10年代半ばに上京し、ワーグマンに洋画を学んだと伝わっている。日本美術協会会員となり、太平洋画会展にも出 ...
2025/4/23
河合新蔵(1867-1936)は、大坂の呉服商を営む家に生まれた。鈴木蕾斎、前田吉彦に洋画の手ほどきを受け、明治24年に上京して五姓田芳柳に師事し、ついで小山正太郎の不同舎で学んだ。明治33年、満谷国 ...
2025/4/21
櫻井忠剛(1867-1934)は、尼崎藩主松平家(維新後に櫻井と改姓)分家の松平忠顕の二男として生まれた。明治9年上京して勝海舟のもとに寄寓し、勝邸内で画塾を開いていた川村清雄に洋画を学び、池田口南に ...
2025/4/18
牧野克次(1864-1942)は、幕末の大坂に生まれ、小学校の教員をしながら守住貫魚に日本画を、貫魚の子・勇魚に洋画を学んだ。その後、明治21年に上京して小山正太郎の画塾・不同舎で学び、静岡師範学校つ ...
2025/4/16
大阪における本格的な洋画の先駆者は山内愚僊、松原三五郎の二人といえるが、山内愚僊が朝日新聞社につとめ、積極的には絵画指導を行なわなかったと思われる反面、図画教師をつとめるかたわら私塾を開いた松原三五郎 ...
2025/4/14
大阪洋画の草創期に活躍した画家としては、浮世絵の月岡芳年門下の鈴木蕾斎(不明-不明)が知られるが、本格的に大阪で洋画がはじまるのは、山内愚僊、松原三五郎が相次いで大阪に移り住んでからといえる。 山内愚 ...
2025/4/11
江戸時代の大坂画壇において重要な流派のひとつである森派は、もともと狩野派風を描いていた森陽信、周峰、祖仙(のちに狙仙に改号)の三兄弟のうち、写生画の作風を確立した狙仙にはじまるとされる。狙仙は画題をほ ...
2025/4/9
渡辺祥益(1848-1905)は、渡辺梁益の二男として大坂に生まれた。父の梁益は、京狩野家9代の狩野永岳に学び、禁裏御用をつとめたという。祥益は、父の没後慶応3年に京都に出て狩野永祥について4年間学ん ...
2025/4/7
望月金鳳(1846-1915)は、大坂平野町に接骨医・平野浄恵の二男として生まれた。9歳の頃林仁鳳に円山派の手ほどきを受け「芳林」と号し、その後四条派の西山芳園・完瑛に学び「金鳳」と号した。17歳の時 ...
2025/4/4
久保田桃水(1841-1911)は、京都に生まれ、四条派の横山清暉に学び、清暉没後は19歳で大阪に移り西山芳園に師事した。明治20年に上京し皇居千種間の欄間や芝離宮洋館の天井画を手掛け、一方で内外各種 ...
2025/4/2
武部秋畦(1868-1906)、武部白鳳(1871-1927)の兄弟は、歌川派の浮世絵師の流れを汲む画家・武部芳峰の子として大阪に生まれ、兄弟で西山完瑛(参考)の門に学んだ。兄の秋畦は、朝日新聞社で挿 ...
2025/3/31
西山完瑛(1834-1897)は、四条派の西山芳園の子として江戸後期の大坂に生まれた。父の芳園は、大坂に四条派を流行らせたとされる画家で、完瑛もその伝統を受け継ぎ、温雅で洒脱な人物花鳥を得意とし、西山 ...
2025/3/28
平井直水(1860-不明)は、30歳で画家を志し深田直城に師事した。孔雀を描くのを得意とし、日本絵画協会などで受賞を重ね、明治40年に日本初の官展として開設された文展の第1回展では大阪唯一の入選者とな ...
2025/3/26
深田直城(1861-1947)は、近江国の膳所藩士の家に生まれた。8歳の時に京都に出て絵画を習いはじめ、14歳で父の友人である加島菱洲に洋画を学び、翌年森川曽文に師事して四条派の写生画法を学んだ。18 ...
2025/3/24
庭山耕園(1869-1942)は、現在の兵庫県姫路市に生まれた。庭山家は代々姫路藩の酒井家に仕えており、父は大坂の蔵屋敷の仕事に携わっていたが、明治初年の廃藩で職を失ったため家族で大阪北船場に転居した ...
2025/3/21
上田耕冲(1819-1911)は、円山応挙門下の上田耕夫の子として京都に生まれた。父に画を学び、父とともに大坂に移ったが、その後死別したため豪商・平野屋五兵衛の援助で長山孔寅に学んだと伝わっている。一 ...