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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま滋賀県を探索中。

各地の風景画に適した場所を訪ね歩いた金山平三

2024/2/9  

金山平三「由良海岸」姫路市立美術館蔵 金山平三(1883-1964)は、神戸市に生まれ、小学校卒業後に京都、奈良、東京の中学校を転々としたのち、東京美術学校西洋画科に入学し黒田清輝に師事した。同校卒業 ...

両画壇で活躍し神戸画壇の形成にも寄与した橋本関雪

2024/2/7  

橋本関雪「唐犬図」右隻 足立美術館蔵 橋本関雪(1883-1945)は、兵庫県八部郡坂本村(現在の神戸市中央区)に生まれた。父親の関海は旧明石藩の藩者で、関雪も父の薫陶を受けて育ち、早くから漢学の素養 ...

近代日本画において大和絵に新機軸を示した松岡映丘

2024/2/5  

松岡映丘「宇治の宮の姫君たち」姫路市立美術館蔵 松岡映丘(1881-1938)は、兵庫県神東郡田原村(現在の神崎郡福崎町)に生まれた。父親の松岡操は医者で漢学者でもあり、4人の兄は民俗学者で知られる柳 ...

画壇を離れ六甲の自然の中で画業に専念した福田眉仙

2024/2/2  

福田眉仙「月下征旅図」 福田眉仙(1875-1963)は、兵庫県赤穂郡矢野村(現在の相生市)に生まれた。幼いころから画を好み、はじめ宮田其溪に画の手ほどきを受け、その後京都の久保田米僊に学び、19歳の ...

白滝幾之助、松井曻ら兵庫県出身の初期洋画家

2024/1/31  

白滝幾之助「浴後」 兵庫県の明治以降の美術の動きは、洋画家の前田吉彦からはじまる。前田は、現在の岡山県に生まれ、のちに神戸に出てほとんど独学で洋画を学んだ。神戸師範学校の図画教諭をつとめ、兵庫県内の洋 ...

東京美術学校助教授就任直後30歳で急逝した小坂象堂

2024/1/29  

小坂象堂「草摘み(摘草)」兵庫県立美術館蔵 小坂象堂(1870-1899)は、但馬国出石郡鍛冶屋村(現在の豊岡市出石町)に生まれた。幼いころから画を好み、16歳頃に京都に出て陶器工場で絵付けの仕事をし ...

但馬城崎温泉に生まれ諸国の景勝地を訪ねた斎藤畸庵

2024/1/26  

斎藤畸庵「水墨山水」 但馬国城崎温泉の旅館「伊勢屋」の長男として生まれた斎藤畸庵(1805-1883)は、幼少時に父を亡くし、耳を悪くするなかで早くから詩文に親しみ、15歳の時に京都に出て中林竹洞に南 ...

森派を継いで幕末期の大坂画壇で活躍した森一鳳

2024/1/24  

森一鳳「猪図」永青文庫蔵 森一鳳(1798-1871)は、播州吉田村の出身と伝えられている。大坂に出て森徹山の門に入り、その画技を認められて24歳の時に娘婿となって森派を継ぎ、家風を守って幕末期の大坂 ...

江戸で殺人を犯し逃亡先の長崎で画を学んだ島琴陵

2024/1/22  

島琴陵「海棠孔雀図」 島琴陵(1782-1862)の前半生はよく分かっていないが、もと南部藩士で、江戸で人を殺して出奔し、逃亡先の長崎で来舶清人らと交遊して画を学んだと伝わっている。長崎派の写実的な花 ...

抱一の後継者として画房・舫雨華庵を継いだ酒井鶯蒲

2024/1/19  

酒井鶯蒲「四季草花図雛屏風」 酒井抱一によって江戸に定着した光琳様式は、洗練の度を加えて江戸琳派に発展した。抱一のもとには作画の注文が殺到し、抱一の住居兼画房の「雨華庵」には、早世した一番弟子の鈴木蠣 ...

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