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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/4/28
赤松麟作「夜汽車」東京藝術大学蔵 岡山県津山市に生まれた赤松麟作(1878-1953)は、5歳頃に家族で大阪に移り、ペンキで描く山内愚僊をみて、16歳の時愚僊の内弟子となり、油彩画を学んだ。明治30年 ...
2025/4/25
渡辺豊洲「月光」京都国立近代美術館蔵 渡辺豊洲(1863-1915)は、幕末の大坂に生まれ、はじめ木下芦洲に日本画を学んだ。その後明治10年代半ばに上京し、ワーグマンに洋画を学んだと伝わっている。日本 ...
2025/4/23
河合新蔵「風景」 河合新蔵(1867-1936)は、大坂の呉服商を営む家に生まれた。鈴木蕾斎、前田吉彦に洋画の手ほどきを受け、明治24年に上京して五姓田芳柳に師事し、ついで小山正太郎の不同舎で学んだ。 ...
2025/4/21
櫻井忠剛「落ち葉をかく人」 櫻井忠剛(1867-1934)は、尼崎藩主松平家(維新後に櫻井と改姓)分家の松平忠顕の二男として生まれた。明治9年上京して勝海舟のもとに寄寓し、勝邸内で画塾を開いていた川村 ...
2025/4/18
牧野克次「夕陽」 牧野克次(1864-1942)は、幕末の大坂に生まれ、小学校の教員をしながら守住貫魚に日本画を、貫魚の子・勇魚に洋画を学んだ。その後、明治21年に上京して小山正太郎の画塾・不同舎で学 ...
2025/4/16
松原三五郎「河畔の月」 大阪における本格的な洋画の先駆者は山内愚僊、松原三五郎の二人といえるが、山内愚僊が朝日新聞社につとめ、積極的には絵画指導を行なわなかったと思われる反面、図画教師をつとめるかたわ ...
2025/4/14
山内愚僊「住吉神社」笠間日動美術館蔵 大阪洋画の草創期に活躍した画家としては、浮世絵の月岡芳年門下の鈴木蕾斎(不明-不明)が知られるが、本格的に大阪で洋画がはじまるのは、山内愚僊、松原三五郎が相次いで ...
2025/4/11
森関山「住吉風景図」大阪市立博物館蔵 江戸時代の大坂画壇において重要な流派のひとつである森派は、もともと狩野派風を描いていた森陽信、周峰、祖仙(のちに狙仙に改号)の三兄弟のうち、写生画の作風を確立した ...
2025/4/9
渡辺祥益「淡彩住吉社頭之図」 渡辺祥益(1848-1905)は、渡辺梁益の二男として大坂に生まれた。父の梁益は、京狩野家9代の狩野永岳に学び、禁裏御用をつとめたという。祥益は、父の没後慶応3年に京都に ...
2025/4/7
望月金鳳「孔雀之図」 望月金鳳(1846-1915)は、大坂平野町に接骨医・平野浄恵の二男として生まれた。9歳の頃林仁鳳に円山派の手ほどきを受け「芳林」と号し、その後四条派の西山芳園・完瑛に学び「金鳳 ...
2025/4/4
久保田桃水「大阪風景画帖」 久保田桃水(1841-1911)は、京都に生まれ、四条派の横山清暉に学び、清暉没後は19歳で大阪に移り西山芳園に師事した。明治20年に上京し皇居千種間の欄間や芝離宮洋館の天 ...
2025/4/2
武部白鳳「雨樹栖鷲図」 武部秋畦(1868-1906)、武部白鳳(1871-1927)の兄弟は、歌川派の浮世絵師の流れを汲む画家・武部芳峰の子として大阪に生まれ、兄弟で西山完瑛(参考)の門に学んだ。兄 ...
2025/3/31
西山完瑛「鸚鵡図」 西山完瑛(1834-1897)は、四条派の西山芳園の子として江戸後期の大坂に生まれた。父の芳園は、大坂に四条派を流行らせたとされる画家で、完瑛もその伝統を受け継ぎ、温雅で洒脱な人物 ...
2025/3/28
平井直水「梅花孔雀図」 平井直水(1860-不明)は、30歳で画家を志し深田直城に師事した。孔雀を描くのを得意とし、日本絵画協会などで受賞を重ね、明治40年に日本初の官展として開設された文展の第1回展 ...
2025/3/26
深田直城「水辺芦雁・雪中舩泊」 深田直城(1861-1947)は、近江国の膳所藩士の家に生まれた。8歳の時に京都に出て絵画を習いはじめ、14歳で父の友人である加島菱洲に洋画を学び、翌年森川曽文に師事し ...
2025/3/24
庭山耕園「舞楽図」 庭山耕園(1869-1942)は、現在の兵庫県姫路市に生まれた。庭山家は代々姫路藩の酒井家に仕えており、父は大坂の蔵屋敷の仕事に携わっていたが、明治初年の廃藩で職を失ったため家族で ...
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