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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

新感覚派と注目されたが37歳で戦死した島崎鶏二

2022/2/14  

島崎鶏二(1907-1944)は、島崎藤村の二男として東京浅草に生まれ、15、6歳の頃から2年間、信州木曽馬籠で農業を手伝うかたわら絵を描く生活を送った。その後、川端画学校に入学して藤島武二の指導を受 ...

タケ・サトーとして英国画壇で名を馳せた佐藤武造

2022/2/9  

長野県下高井郡瑞穂村(現在の飯山市)に生まれた佐藤武造(1891-1972)は、中学時代に丸山晩霞らが講師をしていた水彩画夏期講習会に参加して認められ、中学卒業後に画家を志して上京、石版画工として働き ...

官展を離れ第一美術協会の発展に寄与した神津港人

2022/2/7  

神津港人(1889-1978)は、北佐久郡志賀村(現在の佐久市)に生まれた。16歳の時に、小諸義塾を開いていた丸山晩霞のもとで半年間指導を受け、その後上京して東京美術学校西洋画科に入学、黒田清輝、藤島 ...

洋画研究所を開設し中信の洋画普及に貢献した宮坂勝

2022/2/4  

宮坂勝(1895-1953)は、南安曇野郡倭村(現在の松本市梓川)の酒造家の二男として生まれ、旧制松本中学校卒業後は、東京美術学校西洋画科に進学した。卒業後、大正12年に渡仏、アカデミー・モデルヌに入 ...

一水会結成に参加した小山敬三と信州の一水会の画家

2024/12/11  

昭和11年、二科会を退会した石井柏亭、有島生馬、安井曾太郎、山下新太郎、藤川勇造の5名に、硲伊之助、小山敬三、木下孝則、木下義謙が加わり、一水会が創立され、のちに安宅乕雄、田崎廣助、中村善策、須山計一 ...

高橋貞一郎ら信州の春陽会の画家

2022/1/31  

春陽会は大正11年、日本美術院洋画部を脱退した小杉未醒(放菴)、足立源一郎、倉田白羊、長谷川昇、森田恒友、山本鼎の6名と梅原龍三郎が創立会員、そして創立客員として草土社の岸田劉生、中川一政、木村荘八、 ...

日本に本格的にフォーヴィスムを移入した中川紀元

2024/12/20  

中川紀元(1892-1972)は、上伊那郡朝日村(現在の辰野町)に生まれた。旧制諏訪中学(現在の諏訪清陵高校)卒業後は東京美術学校彫刻科に進学したが、半年で中退。のちに太平洋画会研究所、本郷洋画研究所 ...

素朴な画風で「日本のルソー」と呼ばれた横井弘三

2022/1/26  

下伊那郡飯田町(現在の飯田市)に生まれた横井弘三(1889-1965)は、3歳頃に家族で上京し、東京下町で育った。私立大成中学校在学中から東京美術学校への進学を希望していたが、父の強硬な反対にあい断念 ...

アナキストを描いた肖像画が会場撤去となった林倭衛

2022/1/24  

林倭衛(1895-1945)は、小県郡上田町(現在の上田市)に生まれた。幼少期に家の没落と一家離散を経験。15歳で両親の後を追って上京し、印刷会社で働きながら日本水彩画会研究所夜間部に通い、画家として ...

大正リアリズムの鬼才・河野通勢

2024/12/11  

河野通勢(1895-1950)は、群馬県伊勢崎市に生まれ、長野市で育った。高橋由一の門に学び図画教師をしていた父・河野次郎の影響で、子どものころから絵を描くのを得意としていた。大正3年に長野中学校を卒 ...

日本水彩画会の創立に発起人として加わった小山周次

2022/1/18  

日本水彩画会は、明治44年に没した大下藤次郎の「太平洋画会から独立した水彩画だけの展覧会を開催したい」という遺志を実現するかたちで、大正2年に創立された。同年開催された第1回総会で、石井柏亭、白滝幾之 ...

日本近代美術の発展に関与し続けた石井柏亭

2024/12/11  

石井柏亭(1882-1958)は、明治期に日本初の洋画団体・明治美術会やその後継団体である太平洋画会に出品し、大正期には日本水彩画会や二科会の創立に参加、昭和期には一水会を組織するなど、日本近代美術の ...

パリからの帰国後、漆工芸に新境地を拓いた小澤秋成

2022/1/11  

上伊那郡南箕輪村に生まれた小澤秋成(1886-1954)は、松本中学校を経て、東京美術学校日本画科に進み、明治44年同校図画師範科を卒業した。同年の卒業生に諏訪出身の矢沢弦月がいる。卒業後は、野沢中学 ...

夭折の詩人画家・村山槐多

2024/12/14  

神奈川県横浜市に生まれた村山槐多(1896-1919)は、教師だった父親の赴任に伴って小、中学時代を京都で送った。京都府立第一中学校(現在の洛北高校)在学中から絵画、文学に傾注し、級友らと「強盗」「銅 ...

精巧な素描を残して23歳で夭折した倉田弟次郎

2021/12/24  

倉田弟次郎(1870-1894)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第二子として埼玉県浦和に生まれた。本来立見姓だったが、父の幽谷が立見一族のなかの倉田の家を再興して姓を改めた。弟の倉田白羊は、弟次郎が ...

山本鼎に共鳴して信州上田に移り住んだ倉田白羊

2021/12/20  

倉田白羊(1881-1938)は、旧佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷の第三子として埼玉県浦和に生まれた。23歳で早世した兄・弟次郎の遺志をついで画家を志し、遠縁にあたる浅井忠に師事し、浅井が東京美術学校教授 ...