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銅版画家としても異彩をはなった日本画家・結城正明
2022/9/5
結城正明「富士巻狩」 結城正明(1834-1904)は、越中国富山柳町(現在の富山市柳町)で金沢藩士の子として生まれ、19歳で江戸に出て木挽町狩野家の狩野勝川院雅信に入門した。同門には狩野芳崖、橋本雅 ...
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狩野芳崖、橋本雅邦、狩野勝玉とともに「勝川院の四天王」と称された木村立嶽
2022/9/12
木村立嶽「巌間望月図」ボストン美術館蔵 木村立嶽(1825-1890)は、越中国中新川郡富山南田丁(現在の富山市南田町)に生まれた。父親は仏壇の指物師・宮大工を生業にしていた。6歳頃から藩絵師に画技の ...
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稲垣碧峰ら幕末・明治期の富山の南画家
2022/8/23
稲垣碧峰「桐花菊之図」 稲垣碧峰(1813-1879)は、富山城下舟橋今町(現在の富山市)の造り酒屋に生まれ、京都に上り貫名海屋に書を、浦上春琴に画を学んだ。当時、田能村竹田に有能な弟子を訪ねられた春 ...
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幕末明治の京都画壇で南画の普及に貢献した谷口藹山
2022/8/4
谷口藹山「霜天晩興図」 谷口藹山(1816-1899)は、越中国新川郡鉾ノ木村(現在の立山町)の農家に生まれ、幼いころ富山町の分家に養子に出た。18歳の時に江戸に出て谷文晁の門に入り、文晁とその門下の ...
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京都御所に花鳥画を描き名を高めた吉田公均
2022/8/1
吉田公均「金碧西園雅集図」富山市立郷土博物館蔵 吉田公均(1804-1876)は、越中江上村(現在の富山県中新川郡上市町)の農家に生まれた。幼いころから画才を発揮し、それを認めた近所の住職の勧めで、1 ...
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富山藩主・前田利保が編纂した植物図譜『本草通串証図』の下絵を描いた山下守胤
2022/7/28
『本草通串証図』 山下守胤(1786-1869)は、富山城下平吹町の富山藩御用の染物紺屋の山下屋に生まれた。幼いころから画を好み、家業を継がずに森探玉斎について画を学び、のちに江戸に出て狩野派の画法を ...
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岸駒の跡を継いだ岸岱と岸派の画家
2023/9/27
岸岱「虎図」(模写、原図は岸駒)富山市佐藤記念美術館蔵 岸駒を祖とする岸派は、岸駒没後は、二代目・岸岱、同時代に活躍した岸良、三代目・岸連山へと受け継がれた。流派としての岸派は、四代目の岸竹堂か連山の ...
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京都画壇で明治まで続く岸派の基礎を築いた岸駒
2022/7/26
岸駒「虎図」 岸派の祖・岸駒の生い立ちに関しては不明な点が多く、生地については富山説と金沢説がある。家伝では岸駒の父親は、加賀前田家の支藩である越中富山藩を退官して金沢に移ったとされ、岸駒は金沢におい ...
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「樹」シリーズで人気を博した星襄一と新潟の版画家
2022/7/6
星襄一「王の樹」 星襄一(1913-1979)は、新潟県北魚沼郡小出町(現在の魚沼市)に生まれた。星家は、襄一の少年時代に東京で孔版業を営んでいたが、大正12年の関東大震災で被災して帰郷した。襄一は、 ...
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自然への共感を基底とする抽象画を描き続けた末松正樹
2022/7/4
末松正樹「回想」新潟市美術館蔵 末松正樹(1908-1997)は、新潟県北蒲原郡新発田町(現在の新発田市)に生まれた。父親の転職に伴い各地を転々とし、新潟中学、宮崎中学などを経て山口高等学校文科に学ん ...