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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。

森鴎外の短編小説「天寵」のモデルとなった宮芳平

2022/5/25  

宮芳平(1893-1971)は、新潟県北魚沼郡堀之内村(現在の魚沼市)に生まれた。生家は、呉服商を営んでおり、旦那衆と呼ばれる家柄だったが、生活は質素だったという。小学校卒業後に父の実家があった柏崎町 ...

大正から昭和にかけての新興美術運動の旗手として活躍した矢部友衛

2022/5/23  

日本における新興美術運動は、大正から昭和にかけて盛り上がりをみせ、既存の美術団体に満足できない美術家たちによって在野団体が次々と誕生し、その主張は前衛的傾向を帯びていった。そのような状況下で、矢部友衛 ...

フュウザン会の中心的人物として萬鉄五郎、岸田劉生らとともに活動した川上涼花

2022/5/20  

川上涼花(1887-1921)は、東京の麹町区商工中学校を卒業後、画家を志して太平洋画会研究所に学び、明治45年5月、同研究所の川村信雄ら新傾向の絵画に共鳴する同志とともに、東京美術学校内のアブサント ...

安宅安五郎ら初期文展・帝展に出品した新潟の洋画家

2022/5/18  

初期文展で活躍した新潟出身の洋画家としては、小山正太郎の同人舎に学んだ高村真夫をはじめ、牧野虎雄、安宅安五郎、相馬其一、富田温一郎、佐藤哲三郎らがいる。 安宅安五郎(1883-1960)は、新潟市に生 ...

日本的洋画を目指して福田平八郎ら日本画家と六潮会を結成した牧野虎雄

2024/12/14  

新潟県中頚城郡高城村(現在の上越市)に生まれた牧野虎雄(1890-1946)は、5歳の時に新潟を離れ、一家で東京に移住した。日本中学(現在の日本学園高等学校)在学中に画家を志し、白馬会の葵橋洋画研究所 ...

高村真夫ら不同舎に学んだ新潟の洋画家

2022/5/13  

明治20年、国立の美術教育機関として東京美術学校が創設されたが、フェノロサや岡倉天心らの洋画排斥運動の影響か、当初は同校に西洋画科は設置されておらず、明治美術における西洋絵画の底辺を大きく広げたのは民 ...

日本洋画の揺籃期に多くの洋画家を育てた小山正太郎

2022/5/11  

越後の長岡藩医の家に生まれた小山正太郎(1857-1916)は、はじめ政治家を志して13歳で上京し、働きながら学んでいたが、幼いころから関心があった絵画への想いを断ち切れず、上京の翌年、川上冬崖の聴香 ...

日本画の理想を求めて国画創作協会を結成した土田麦僊

2024/12/11  

新潟県佐渡の農家に生まれた土田麦僊(1887-1936)は、16歳で京都に上り、はじめ鈴木松年・松僊に学び、ついで竹内栖鳳に師事した。栖鳳のもとでは、四条派の伝統的写生に西洋絵画の写実性を加味した栖鳳 ...

日本画における新古典主義的画風を確立した小林古径

2024/12/11  

小林古径(1883-1957)は、新潟県中頚城郡高田土橋町(現在の上越市)に生まれた。11歳頃に山田於菟三郎に画の手ほどきを受け、ついで青木香葩に学び、明治32年、16歳の時に上京して梶田半古の画塾に ...

帝展に対抗して会期を合わせて美術展を開催し、実験的な日本画に挑んだ尾竹竹坡

2024/12/11  

新潟市に生まれた尾竹竹坡(1878-1936)は、4歳で笹田雲石に師事して南画を学び、13歳の時に、兄の越堂を頼って弟の国観とともに富山に移り、18歳で上京するまで売薬版画の下絵や新聞挿絵の制作に携わ ...

初期の東京美術学校で学んだ新潟出身の日本画家、佐々木林風・西方春叢・桐谷洗鱗

2025/3/27  

明治20年に創設された東京美術学校の日本画科で学んだ新潟出身の画家としては、佐々木林風、西方春叢、桐谷洗鱗らがいる。 佐々木林風(1884-1933)は、東京美術学校を卒業後、一時新潟の小千谷中学校に ...

南画の近代化の一翼をになった田村豪湖

2022/4/25  

田村豪湖(1873-1940)は、南魚沼郡中之島村(現在の新潟県南魚沼市)の農家の四男として生まれた。幼いころから絵を描くことが得意で、7歳の時に病により片足が不自由になったこともあり、早くから画家を ...

退色しにくい「津端式絵具」を開発した津端道彦

2022/4/22  

津端道彦(1868-1938)は、新潟県中魚沼郡外丸村(現在の津南町外丸本村)に生まれた。生家は酒造業を営んでおり「菊水」という銘柄の酒を造っていた。父の荘六は藍亭と号して南画を描いており、道彦も少年 ...

上海領事館に勤務しながら南画を研究した大倉雨村

2022/4/18  

大倉雨村(1846-1899)は、新潟町(現在の新潟市)の医師・大倉良庵の子として生まれ、幼いころから地元の絵師・松尾紫山に画を学んだ。父の没後は江戸に出て、さらに長崎に行き鉄翁祖門に学んだ。27歳の ...

美人画を通して明治中期の女性風俗を描いた楊洲周延

2024/12/14  

越後高田藩の江戸詰藩士の子として江戸に生まれた楊洲周延(1838-1912)は、はじめ歌川国芳の門人となり、国芳の没後は役者絵で人気だった豊原国周に師事した。江戸藩邸で高田藩士としてつとめるかたわら絵 ...

頚城の異色南画家・東洋越陳人と磯野霊山

2022/4/13  

越後国中頸城郡三和村(現在の上越市)の農家に生まれた東洋越陳人(1836-1916)は、7歳の時に荻野退治の塾に入り経史を学んだ。漢詩の暗誦と習字が得意で、子どもとは思えない絵を描いていたという。本人 ...