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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2022/3/14
石川侃斎「蘭亭曲水之図」新潟市歴史博物館蔵 石川侃斎(1764-1840)は、新潟町(現在の新潟市)の役人の家に生まれ、幼いころから書画を好んでいたが、地元では特定の師匠についた形跡はなく、若い時から ...
2022/3/11
亀田鵬斎「出雲崎より佐渡を望む図并詩」糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》蔵 江戸神田に生まれた亀田鵬斎(1752-1826)は、6歳頃から素読を飯塚肥山に、書を細井広沢の門人・三井親和に習い、14 ...
2022/3/9
釧雲泉「高隠自適図」 釧雲泉(1759-1811)は、肥前島原藩士の子として島原(現在の長崎県雲仙市)に生まれ、幼くして長崎に学び、中国語にも通じ、中国古画に学んで山水画を得意とした。やがて故郷を離れ ...
2022/3/7
狩野胖幽「鷹猫図屏風」(左)佐渡市立佐渡博物館蔵 狩野胖幽「鷹猫図屏風」(右)佐渡市立佐渡博物館蔵 狩野胖幽(1649-1730)は、本名を久隅彦十郎といい、狩野探幽門下の四天王のひとり・久隅守景の子 ...
2022/3/4
森蘭斎「海棠寿帯鳥図」 越後国頸城郡新井村(現在の妙高市)に生まれた森蘭斎(1740-1801)は、若いころから画才に恵まれ、はじめ新潟町の五十嵐浚明に学んだ。その後、浚明の勧めで24歳頃に長崎に遊学 ...
2022/3/2
五十嵐浚明「商山四皓・虎渓三笑図」十輪寺蔵 五十嵐浚明(1700-1781)は、新潟町(現在の新潟市)の商家に生まれた。幼いころから画才を発揮し、20代後半までは家業を手伝いながら暇をみつけては画を描 ...
2022/2/24
山口進「五月の上高地」 山本鼎らが提唱した「自画・自刻・自摺」の創作版画運動は、大正に入って広く普及するようになる。その動きを受けて織田一磨が山本鼎に働きかけ、大正7年に「日本創作版画協会」が結成され ...
2022/2/21
香山小鳥「深川の冬」(習作) 長野県下伊那郡松尾村(現在の飯田市松尾)に生まれた香山小鳥(1892-1913)は、飯田中学校(現在の飯田小学校)卒業後に上京、家族も後に上京し、そろって深川に住んだ。 ...
2022/2/17
中村直人「緑蔭に憩う」 中村直人(1905-1981)は、長野県小県郡神川村(現在の上田市)に養蚕農家の三男として生まれた。大正12年、地元の神川小学校に入学。この小学校は、山本鼎が最初の児童自由画展 ...
2022/2/14
島崎鶏二「水」 島崎鶏二(1907-1944)は、島崎藤村の二男として東京浅草に生まれ、15、6歳の頃から2年間、信州木曽馬籠で農業を手伝うかたわら絵を描く生活を送った。その後、川端画学校に入学して藤 ...
2022/2/9
佐藤武造「アイラ・サンダム」 長野県下高井郡瑞穂村(現在の飯山市)に生まれた佐藤武造(1891-1972)は、中学時代に丸山晩霞らが講師をしていた水彩画夏期講習会に参加して認められ、中学卒業後に画家を ...
2022/2/7
神津港人「凩(こがらし)」 神津港人(1889-1978)は、北佐久郡志賀村(現在の佐久市)に生まれた。16歳の時に、小諸義塾を開いていた丸山晩霞のもとで半年間指導を受け、その後上京して東京美術学校西 ...
2022/2/4
宮坂勝「スケート」 宮坂勝(1895-1953)は、南安曇野郡倭村(現在の松本市梓川)の酒造家の二男として生まれ、旧制松本中学校卒業後は、東京美術学校西洋画科に進学した。卒業後、大正12年に渡仏、アカ ...
2024/12/11
小山敬三「浅間山夕月」小諸市立小山敬三美術館蔵 昭和11年、二科会を退会した石井柏亭、有島生馬、安井曾太郎、山下新太郎、藤川勇造の5名に、硲伊之助、小山敬三、木下孝則、木下義謙が加わり、一水会が創立さ ...
2022/1/31
高橋貞一郎「ノートルダム寺院」市立岡谷美術考古館蔵 春陽会は大正11年、日本美術院洋画部を脱退した小杉未醒(放菴)、足立源一郎、倉田白羊、長谷川昇、森田恒友、山本鼎の6名と梅原龍三郎が創立会員、そして ...
2024/12/20
中川紀元「人形を抱く娘」 中川紀元(1892-1972)は、上伊那郡朝日村(現在の辰野町)に生まれた。旧制諏訪中学(現在の諏訪清陵高校)卒業後は東京美術学校彫刻科に進学したが、半年で中退。のちに太平洋 ...