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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/7/7
粥川伸二(1896-1949)は、大阪府大島郡向井村中筋(現在の堺市)に生まれた。14歳の時に結核性骨髄炎のため右足を切断し、そのため商業学校を中退して画家を志し、はじめ堺高等女学校で絵画教師をしてい ...
2025/7/4
小林柯白(1896-1943)は、大阪市北区に生まれた。大阪の中心地で育ち、義兄にあたる高野涼道の影響で日本画に目覚め、大正2年、涼道の勧めで上京し、今村紫紅に入門した。大正5年の紫紅没後は安田靫彦に ...
2025/7/2
吹田草牧(1890-1983)は、大阪市東区横堀に生まれた。生家は醤油問屋と海運業を営んでいた。17歳の時に日本基督協会大阪西協会で洗礼を受け、翌年京都に転居し、関西美術院に入り洋画を学んだ。さらに2 ...
2025/6/30
山口草平(1882-1961)は、大阪市南区に生まれ、京都一中を経て神道系専門学校で学んだ。のちに大阪に戻り中川蘆月に師事したが、間もなく辞し、その後は独学で学び、文展、日本美術院展、国画創作協会展に ...
2025/6/27
松浦舞雪(1886-1970)は、広島県に生まれ、画を京都で学んだと思われ、明治42年、第3回文展で初入選を果たした。その後京都から大阪に移ったと推測され、大正4年の第9回文展には大阪の画家として入選 ...
2025/6/25
大正元年、北野恒富、野田九浦が中心となって、新進の画家たちを糾合し、美術団体「大正美術会」が結成された。創立時には、上島鳳山、菅楯彦、岡本大更、久保井翠桐、金森観陽、水田竹圃、坂田耕雪、平野晃岳、伊藤 ...
2025/6/23
松本華羊(1893-1961)は、簿記学者で銀行員の松本邁の三女として生まれ、東京で育った。幼いころの事故が原因で足が不自由なうえ病弱だったため、代々木の自宅で学業を修めた。15歳頃からは家庭教師に池 ...
2025/6/20
小方華圃(1880?-1925)は、大阪府三島郡に生まれた。岸駒(参考)門の祖父・立川義堂(香園)と、内務省職員で絵を趣味とする父・小方義正(香渓)に影響を受けて画に親しみ、幸野楳嶺(参考)門の高谷篁 ...
2025/6/18
国内外の話題を写真で紹介する東京の月刊誌「歴史写真」は、大正2年に創刊され、表紙絵と口絵は画家が担当した。同誌顧問の写真家・黒川翠山が大正初期から木谷千種(参考)を撮影してきた関係からか、大正14年か ...
2025/6/16
八千草会は、大正9年に木谷千種(参考)が後進の女性画家育成のために大阪の自宅に創立した画塾で、芸術を志す女性が助け合い、男性と伍していくことを理念とした。人物画だけでなく花鳥画も教え、外部講師に美学者 ...
2025/6/13
木谷千種(1895-1947)は、大阪市北区堂島に生まれ、12歳で渡米し、シアトルで洋画を学んだ。2年後に帰国し、大阪府立清水谷高等女学校に通学し、深田直城に師事したが、同校卒業前に上京し、池田蕉園( ...
2025/6/11
若くして官展で活躍し全国的に名声を得た島成園(参考) のもとには、各地から弟子志願者が集まり、多くの女性が門下生として学んだ。成園が結婚し、夫の転勤に同行して画壇から離れてからは、一部は中村貞以(参考 ...
2025/6/9
島成園(1892-1970)は、大阪府堺市熊野町に生まれた。襖絵などを描いていた町絵師の父と画家で図案家でもあった兄のもとで画に親しみ、15歳頃から兄の仕事を補佐しながら独学で画を学んだ。大正元年、2 ...
2025/6/6
中村貞以(1900-1982)は、大阪市船場に生まれた。はじめ浮世絵師・二代長谷川貞信に画の手ほどきを受け、岡本景邦に運筆や写生を学び、大正8年からは北野恒富に師事した。2歳の時に両手に大火傷を負い、 ...
2025/6/4
高木葆翠(1894-1947)は、福岡県に生まれ、実家が染物屋を営んでいたことから、幼いころから日本画に親しみ、のちに油絵に興味を持ち、19歳で上京して岡田三郎助に師事した。30歳まで岡田のもとで油彩 ...
2025/6/2
松田富喬(不明-不明)は、北野恒富に師事し日本画を学んだ。日本画家としては大成しなかったが、師の恒富がポスター分野で人気を博した影響から、1920年代半ばから各種ポスター用図案の懸賞募集に積極的に応募 ...