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江戸時代を中心に明治中頃くらいまでに活動していた各地の画家を調査し、都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
江戸時代を中心に全国各地で活動していた画家を調査して都道府県別に紹介しています。ただいま近畿地方を探索中。
2025/7/25
耳野卯三郎(1891-1974)は、大阪市に生まれ、上京して白馬会葵橋洋画研究所で学び、東京美術学校西洋画科に進学した。同校在学中の大正3年に、足立源一郎ら芸術家や文士が集った大阪道頓堀のカフェー「パ ...
2025/7/23
大久保作次郎(1890-1973)は、大阪市に生まれた。寺内萬治郎とは幼馴染。その後、上京して東京美術学校に進学し、黒田清輝、藤島武二に学んだ。同級に鍋井克之がいた。同校在学中の明治44年に第5回文展 ...
2025/7/21
寺内萬治郎(1890-1964)は、大阪市に生まれ、松原三五郎の天彩画塾で水彩画を学んだ後、上京して白馬会葵橋洋画研究所で黒田清輝に学び、東京美術学校西洋画科に進学した。同期に小絲源太郎、耳野卯三郎、 ...
2025/7/18
日本画家・青木大乗(1891-1979)は、大阪市天王寺区に生まれ、関西美術院で洋画を、京都絵画専門学校で日本画を学んだ。はじめ「宏峰」と号して洋画家として活動し、大正12年には洋画研究所「新燈社」を ...
2025/7/16
十亀広太郎(1889-1951)は、大阪に生まれ、大阪府立堺中学校を卒業後、京都の関西美術院に入り、鹿子木孟郎(参考)に師事した。大正3年第1回二科展に初入選し、二科賞を受賞した。大正8年には上京し、 ...
2025/7/14
服部喜三(1893-1978)は、大阪に生まれ、大正元年から京都の関西美術院で学んだ。その翌年には第7回文展に初入選し、以後、文展、帝展に出品し、関西の官展系の主要洋画家として活躍した。 服部が入学し ...
2025/7/11
玉城末一(1897-1943)は、大阪府堺市に生まれ、京都市立美術工芸学校卒業後、京都絵画専門学校に進んだ。画壇への登場は同校研究科修了した大正10年で、第7回大阪美術展に入選し、以後も第8回、第9回 ...
2025/7/9
西村更華(1896?-不明)は、大阪で活動し、岡本大更の門に学んだとされることから、大阪か大阪近辺に生まれたと思われる。生家は下駄屋を営んでいたという。経歴については不明な点が多く、のちに山本紅雲の紹 ...
2025/7/7
粥川伸二(1896-1949)は、大阪府大島郡向井村中筋(現在の堺市)に生まれた。14歳の時に結核性骨髄炎のため右足を切断し、そのため商業学校を中退して画家を志し、はじめ堺高等女学校で絵画教師をしてい ...
2025/7/4
小林柯白(1896-1943)は、大阪市北区に生まれた。大阪の中心地で育ち、義兄にあたる高野涼道の影響で日本画に目覚め、大正2年、涼道の勧めで上京し、今村紫紅に入門した。大正5年の紫紅没後は安田靫彦に ...
2025/7/2
吹田草牧(1890-1983)は、大阪市東区横堀に生まれた。生家は醤油問屋と海運業を営んでいた。17歳の時に日本基督協会大阪西協会で洗礼を受け、翌年京都に転居し、関西美術院に入り洋画を学んだ。さらに2 ...
2025/6/30
山口草平(1882-1961)は、大阪市南区に生まれ、京都一中を経て神道系専門学校で学んだ。のちに大阪に戻り中川蘆月に師事したが、間もなく辞し、その後は独学で学び、文展、日本美術院展、国画創作協会展に ...
2025/6/27
松浦舞雪(1886-1970)は、広島県に生まれ、画を京都で学んだと思われ、明治42年、第3回文展で初入選を果たした。その後京都から大阪に移ったと推測され、大正4年の第9回文展には大阪の画家として入選 ...
2025/6/25
大正元年、北野恒富、野田九浦が中心となって、新進の画家たちを糾合し、美術団体「大正美術会」が結成された。創立時には、上島鳳山、菅楯彦、岡本大更、久保井翠桐、金森観陽、水田竹圃、坂田耕雪、平野晃岳、伊藤 ...
2025/6/23
松本華羊(1893-1961)は、簿記学者で銀行員の松本邁の三女として生まれ、東京で育った。幼いころの事故が原因で足が不自由なうえ病弱だったため、代々木の自宅で学業を修めた。15歳頃からは家庭教師に池 ...
2025/6/20
小方華圃(1880?-1925)は、大阪府三島郡に生まれた。岸駒(参考)門の祖父・立川義堂(香園)と、内務省職員で絵を趣味とする父・小方義正(香渓)に影響を受けて画に親しみ、幸野楳嶺(参考)門の高谷篁 ...