
住吉具慶「筥崎八幡宮縁起」(部分)筥崎宮蔵
住吉派は、江戸時代のはじめに住吉如慶が起こしたやまと絵の画派で、如慶は、土佐光吉、もしくは光則の門弟とされ、土佐派の中央画壇復帰に先んじて朝廷の御用をこなし、寛文2年、後水尾院、後西天皇の命で鎌倉時代以降途絶えていた住吉家を復興し、住吉と名乗るようになった。
如慶の子・具慶は、父の跡を継ぎ、京都に住んで作画活動を行なっていたが、貞享2年に将軍綱吉から屋敷地を拝領して江戸に住み、幕府御用絵師となった。狩野派で占められていた幕府御用絵師にやまと絵系の画系が参入する最初の機会となった。
住吉派は、その後、広保、廣守と血縁で継承されたが、廣守に子がなく、弟子の板谷慶舟(広当)が一時期住吉家を継ぎ、広当の子・広行が成長すると、広当は板谷姓に復帰し、広行に住吉家を継がせた。
広行は、幕府御用絵師として「東照宮縁起絵巻」などを制作する一方、寛政度内裏の造営に際して賢聖障子を描くなど、やまと絵師として江戸時代後期もっとも目立つ活動をした。広行の跡は子の廣尚、弘貫の兄弟が継ぎ、弘貫没後は門弟の廣賢が最後の幕府御用絵師をつとめ、維新後は新政府に出任し、子の広一ともども博物館の模写事業などにも従事した。
住吉如慶(1599-1670)すみよし・じょけい
住吉具慶(1631-1705)すみよし・ぐけい
→日光山の絵事に携わったやまと絵住吉派二代・住吉具慶
京都(76)-画人伝・INDEX
文献:近世やまと絵50選、やまと絵日本絵画の原点、もっと知りたいやまと絵、日本美術全集9







